『工場萌え』は、工場に萌えるマニアのための写真集。そのようなマニアの写真は、鉄道マニアの鉄道写真にも通じるところがある。そしてマニアのパワーは、バブル以降元気のなかった写真界に新しい風を吹き込むかもしれない。工場写真の最終回は、マニアな視点で撮られた写真について考えていく。(※文中敬称略)
鉄道写真との類似点
今の工場写真のルーツとして、「鉄ちゃん」と呼ばれる鉄道マニアの撮った鉄道写真があると思う。鉄道写真は写真的な面白さもあるけれど、撮りに行くことの面白さや実際に汽車を見ることも楽しんでいる写真だよね。鉄ちゃんは、当たり前だけど鉄道に萌えてる。鉄道車両に対して非常に特殊な感情を抱いているわけで、それと同じようなことが工場に萌える人たちにも言える。だから工場写真は新しい鉄道写真とも言える。鉄ちゃんたちは非常に根強くて、最近また増加傾向にあるよね。この前、写真学校に講評に行ったら素晴らしい鉄ちゃんの生徒がいて、古い鉄道から新しい列車まで全て撮っているわけ。年齢を聞いたらまだ19歳くらいなんだけど、昔からある鉄道写真のセオリーをきちんと押さえている。SLが現役だったことを知らない世代なのに、SLのかっこよさに惹かれる遺伝子は確かに受け継がれていてると感じたね。
1960~1970年代に製造されて、錆びても元気に頑張って働いているSLや工場に惹かれる感性。そこは鉄ちゃんも工場を撮る人たちも同じなんだろう。どちらもコレクターのように被写体をマニアの目で見て、写真で収集していく。撮り方も、鉄ちゃんが撮影ポイントによって煙の角度や車体の傾き方にこだわるのと一緒で、工場も撮影ポイントや時間帯にこだわって撮影する。鉄道写真の世界は以前から写真の持っている楽しさを広げる面白いジャンルだと考えていたけども、工場写真も同じようにひとつのジャンルとして定着するんじゃないか、と思うくらいに熱っぽい。非常に鉄ちゃんの世界に近いところがあるから、車両を○○系と分類するように、工場でも科学系、自動車系、石油系などに分類したり、建設年代や建設材料別などに細分化されていくのかもしれない。
もう一つ鉄道写真と工場写真の類似点として、写真集の作り方がある。『工場萌え』がヒットしたもうひとつの要因に、ガイドブック的な作りになっている点が挙げられる。もし『工場萌え』が写真だけで構成された写真集だったら、ここまで売れなかっただろうね。『工場萌え』を見れば、自分で工場地帯などを訪れて、驚きとか楽しみ、懐かしさを共有できる。このように撮り方やガイドブックを写真集につけるところなど、鉄道写真集に非常に似ているよね。
鉄道写真は動いている被写体にピントを合わせないといけないし、その時々の光の状態など計算しながら撮らないといけないから、かなり難しくて高度なテクニックが必要なんだ。だから鉄ちゃん出身でプロカメラマンになったという人もすごく多い。これから先、テクノスケープを撮影する人も、建物の角度や水平垂直、歪みや光にこだわって技術的な問題を考えながら撮影する人が増えていくと、鉄道写真のような非常に応用の効く写真家に育っていくかもしれない。鉄道写真もはじめは「機関車が写っていればいい」というところから始まったんだけど、そのうち鉄ちゃんの神様といわれる広田尚敬のような写真家がでてきた。カリスマ写真家が出てきてから鉄道写真の幅が広がっていった。だからテクノスケープ写真にもカリスマ的な巨匠が出てきたら面白くなると思う。『工場萌え』の石井哲は、歪曲収差やパースの歪みなどが少なくて、かなり気を遣って撮っていることがわかる。工場写真はまだ出はじめたばかりだから、どう進化していくか楽しみだね。
バブル崩壊以降の写真界の流れを打ち破るマニアのパワー
写真界の流れで考えてみても、『工場萌え』はとても面白いと思う。1970~1980年代までの世の中は、「未来はもっと良い世界に違いない」というものがあったけど、1990年代のバブル崩壊以降は未来に対する憧れや幻想がなくなってしまった。バブル崩壊は写真の流れでみてもすごく大きな出来事で、バブル崩壊後は身の回りの半径5メートルくらいを撮って、どこか希薄で醒めている写真がたくさん増えた。これは「自分の周りくらいしかリアリティがない」という現われだと思う。
だけど、少なくとも工場のようなテクノスケープに惹かれる人たちは、工場のある場所に被写体を求めて出かけているわけだから、「半径5メートル以内」よりは広がっていて、僕はとても良い傾向だと思っている。マニアの行動力は侮れないよね。好きな物、欲しい物があれば、かなり遠くまで出かけてしまう。そしてみんなで見て共有するというコミュニケーションの欲求が感じられる。『工場萌え』には彼女と一緒に見に工場を行こうというガイドが書かれているぐらいだしね。
写真を趣味としている人は写真家を目指したり、コンテストに出したりするけど、そういう人たちの写真と、工場に萌えるマニアの写真は全然違う。それが写真の新しい回路なんだと思う。写真の歴史はいろいろな思考と実践の回路を取り込みながら進んできた。工場マニアから、ベッヒャー派や畠山さんの仕事を見て興味を持ち、高度な作品を作る人が出てきたら面白いよね。だけど、大部分の人は、そういう方向にはいかないだろう。まずは仲間内で楽しむ。とりあえずはそれでいいかな。
テクノスケープの写真を撮っている人は、男性が多いことも注目すべきなのかもしれない。1990年代以降、女性のほうがずっと元気で、「ガーリーフォト (girly photo) 」と呼ばれる写真が出てきて、今でも女性写真のバリエーションは増え続けている。その中で僕が「日々の泡」と呼んでいる「半径5メートル以内」の日常写真が1990年代後半以降の大きな流れだった。しかし、時代はそろそろそういう写真にも飽きている。マニアのパワーは、そういうものを打ち破っていく可能性があるんじゃないかな。 マニアパワーで写真界がポジティブな方向に動いて、新しい芽が出てくればいいと思っている。
よく「撮るものがなくなってきた」という話をよく聞くけど、撮るものがなくなってきたんじゃない。物事に感動しない感性になってしまったことを恐れなくてはてはいけない。写真は感動する力が大切なんだ。『工場萌え』のように、驚きや楽しさなどの感情がストレートにわかる写真は好きだね。最初はわからなかったけど、見ていくうちにけっこう引き込まれていった。僕も工場の魅力にはまってしまったのかもしれない。なにより『工場萌え』は読んでいてと面白い。これはすごく重要なことで、多くの類書が出版されているけど、『工場萌え』が一番完成度が高い。他の出版物はもっと写真集寄りになっていたり、ガイドブック要素の詰め甘かったりする。『工場萌え』は、ストレートに面白さを出せた写真集&ガイドブックであり、新しくて面白い被写体を見つけていくこと、世の中にはもっと面白い被写体は隠れていることを示してくれたと思う。
飯沢耕太郎(いいざわこうたろう)
写真評論家。日本大学芸術学部写真学科卒業、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程 修了。
『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)でサントリー学芸賞、『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)で日本写真協会年度賞受賞。『写真を愉しむ』(岩波新書)、『都市の視線 増補』(平凡社)、『眼から眼へ』(みすず書房)、『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング)など著書多数。「キヤノン写真新世紀」などの公募展の審査員や、学校講師、写真展の企画など多方面で活躍している。
まとめ:加藤真貴子 (WINDY Co.)