2008年10月30日から11月16日までの間、ソウル、プサン(釜山)に次ぐ韓国で3番目に大きな都市「テグ(大邱)」で、『テグ写真ビエンナーレ2008』が開催された。この写真ビエンナーレでは、「過去と現在 -未来の記憶(THEN AND NOW memorys of future)」をキャッチコピーに、メイン会場では「韓国・中国・日本現代写真展」が企画された。日本のパートのキュレーションを担当した飯沢が、アジアから見た日本写真の現在について、4回にわたって解説する。

テグ写真ビエンナーレ2008のオープニングセレモニー

芸術の祭典 ビエンナーレとトリエンナーレ

"ビエンナーレ"とか"トリエンナーレ"とうのは2年に1度、あるいは3年に1度開催されるお祭りのこと。現代美術の世界ではよく使われるいい方なんだ。美術のほかに、映画や建築などでもあるね。写真のお祭りで考えると、メインになるのは展覧会で、1つの街の色々な場所で展覧会が同時に開催されるんだ。それに付随して、シンポジウムが開催されたり、出版活動が行なわれたり、若い写真家が批評家とかギャラリーのディレクターにポートフォリオを見せる「ポートフォリオレビュー」が行なわれたりする。開催内容はそれぞれで違うけど、写真のお祭りは世界中で増えているね。有名なのは1970年から毎年開催されている南フランスの「アルル国際フォトフェスティバル」や、1980年から2年に1度パリで開催されている「パリ写真月間」だね。日本では1985年から北海道の「東川町国際写真フォトフェスティバル(愛称:東川町フォトフェスタ)」が開催されている。

写真評論家とキュレーターの違い

韓国では90年代以降、ようやく現代写真というジャンルが確立されてきたんだ。同国は70年代ぐらいまで、外国に留学するには非常に厳しい制限があったらしい。80年代以降、それが解禁されて多くの学生が留学した。写真を学ぶ学生がアメリカやヨーロッパ、日本などに留学して、現代写真の状況に触れて、80年代の終わりから帰国して活動を始めた。そして彼らが韓国の現代写真の主な担い手になっていったんだ。

今回のテグ写真ビエンナーレは、今回で2回目の開催。前回はどうだったかというと、カタログを見た限りだけど、韓国作家のドキュメンタリー写真を中心にしたちょっと地味な展示で、あまり反響を呼ばなかったみたいだね。そこで今回は韓国の現代写真を代表する作家であるクー・ボンチャン氏を総合ディレクターにすえて、テコ入れを図った。彼はドイツに留学して帰国した80年代後半から、韓国の伝統文化とモダンカルチャーを融合するような、素晴らしい作品を発表し続けている現代写真家で、いわば韓国現代写真の第一世代の代表作家。そのクー氏から、日本のパートのキュレーションを担当してほしいと頼まれたんだ。

写真評論家とキュレーターの仕事はぜんぜん違う。写真評論家は、できあがった企画を見て、それについて書いたり喋ったりするのが役目。キュレーションは企画を考えて実行する立場で、企画を立ち上げるディレクター、事務処理などの細かな作業、時には金銭面などを考えるプロデューサー的な仕事までしなくてはいけない。ほんとに大変な仕事だと思うね。僕はキュレーションに関していえば得意でもないし、実はあまり好きでもないんだ(笑)。だから積極的にやりたいと思っていない。ただ、クー氏とは80年代以来の長いつき合いがあるし、彼が総合ディレクターをやるならきっと良い展覧会になると思って、「韓国・中国・日本現代写真展」の日本パートのキュレーションを引き受けることにしたんだ。

海外の展覧会を企画するのは、小さなものはやったことあったけど、今回のような大きな展覧会は初めてなんだ。準備の段階から国民性が日本とぜんぜん違ってると感じたね。韓国の人はどちらかというと最後の最後で力を発揮するタイプ。僕はオープニングの前々日に会場へ着いたんだけど、会場の下見に行ったら、まだ壁が全部できていなくて、照明も設置されていない状態。かなり心配に思ったけど、オープニングまでにはちゃんとできているんだよね。最後に集中してスパートする国民性がよくわかったね。日本人は前日までに100%どころか120%できていないと満足できないところがあって、非常に細やかに計画を立ててそれを実行していくでしょう。そういう国民性の違いで戸惑うことは多かったけど、今思えばいい経験ができたと思う。

テグ写真ビエンナーレのメーン会場 EXCO。普段は見本市会場などに使われる巨大な施設

総合ディレクターを務めたクー・ボンチャン氏

国による作風の違いの面白さ

「韓国・中国・日本現代写真展」は、韓国、中国にもそれぞれキュレーターがいて、韓国のパートは写真評論家のジン・ドンスン氏、中国のパートは、2007年にオープンして中国現代写真界に新風を吹き込んだ、北京・三影堂攝影芸術センターのディレクターであるジアン・リー氏が担当した。キュレーター3人が協議して統一テーマを設けることはせず、各国のキュレーターが自由に自分のアイディアで作家や作品を選出するというスタイルを取った。そのため、かなりばらついた印象を与える展示だったけど、逆に3つの国の写真表現の質の違いがくっきりと浮かび上がったものになっていたね。

韓国のパートは、「舞台装置」(人工的、演出的な写真)、「シミュラークル」(デジタル的な合成写真)、「ドキュメンタリー」の三部構成だった。やや盛りだくさんの印象を受けたけど、大判プリントの力強い作品が多かった。ギリシアの三美神をテーマとして、体は人間、顔は石像の写真を組み合わせたデビー・ハンの作品とか、女性写真家のキム・オクスンが女性ヌードを真っ正面から撮影した作品が印象に残った。開発が進んで取り壊されていくソウルの小住居群を定点観測的に撮影した、アン・セクオンのドキュメンタリーの作品シリーズも見応え充分だった。

でも僕は韓国より中国のパートが面白いと思った。モウ・イの晴れた日に外に干してある布団を大量に撮影したシリーズとか、ジャオ・リアンのどぶ川に浮かぶ塵芥を写真と動画で同時に撮影したインスタレーション作品など、日常的な被写体を見つめることで、ある種の哲学を構築していこうという作品があって興味を引いたね。またヤオ・ルーは、いま世界的にも注目されている作家で、伝統的な山水画のように見えるけど、よく見ると人工物のネットを組み合わせているんだ。この作品はパリフォトでも賞を取っている。

台湾からは、都市の人工的な光景を軽やかに表現したシェン・チャオリアン、チウ・イーチェンの作品が持ち込まれていた。彼らの作品は大陸の作家とは少し異なった洗練された作風が感じられた。2000年代に入ってから中国のアーティストの作品がものすごい値段になってきている。だから若い作家たちにも希望があって、アート作品を作ることで生活を豊かにしていこうという、エネルギーが満ち満ちていた。"チャイニーズ・ドリーム"の実現だね。自分を打ち出していこうとするパワーがあふれていて、今の日本の写真家達にはない自己主張の強さを感じられた。

韓国の剛直さ、中国のおおらかなエネルギーの表出といったように、同じ東アジア地域でも日本と違った各国の気風の違いが表れてくるのが興味深かったね。次回は僕が担当した日本のパートについて詳しく触れていきたいと思う。

韓国 デビー・ハン 『Graces』より

韓国 キム・オクスン 『Living Room』より

韓国 アン・セクオン 『ウォルゴク・ドンの消えゆく光』より

中国 モウ・イ 『晴れた日』より

中国 ジャオ・リアン 『Water』より

中国 ヤオ・ルー 『Chinese Landscape』より

飯沢耕太郎(いいざわこうたろう)

写真評論家。日本大学芸術学部写真学科卒業、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程 修了。
『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)でサントリー学芸賞、『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)で日本写真協会年度賞受賞。『写真を愉しむ』(岩波新書)、『都市の視線 増補』(平凡社)、『眼から眼へ』(みすず書房)、『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング)など著書多数。「キヤノン写真新世紀」などの公募展の審査員や、学校講師、写真展の企画など多方面で活躍している。

まとめ:加藤真貴子 (WINDY Co.)