東京都写真美術館にて、2008年7月5日から8月17日の間、「今森光彦写真展 昆虫 4億年の旅 進化の森へようこそ」が開催された。この展覧会には老若男女問わず多くの人が訪れ、大盛況のうちに終了した。氏の写真は「自然写真」というジャンルである。多くの人を魅了する自然写真は、人間の知的好奇心が基本になっている。とくに日本の自然写真は、海外とは違った進化を歩んできたと飯沢はいう。そこで5回にわたり、自然写真について解説したいと思う。第1回目は「自然写真」の概念と海外の自然写真について。
東京都写真美術館で2008年8月に開催された「今森光彦写真展 昆虫 4億年の旅 進化の森へようこそ」より |
日本の自然写真の系譜
自然環境とそこに生きる生物たちを被写体とする「自然写真」というジャンルがあるけど、その概念はとても広いんだ。特に日本の自然写真の場合は、2つのジャンルに跨っていると考えられる。
ひとつは、自然観察や生態観察などの科学的な研究などを元にして撮影された写真。こちらのジャンルが「自然写真」の本流で、昆虫写真の今森光彦や海野和男、動物写真の岩合光昭や星野道夫、山岳写真の水越武や大山行男などがいる。もうひとつは一般的に「ネイチャーフォト」と呼ばれているエンターテイメント性が強い写真だね。自然というより「花鳥風月」のような写真が多い。アマチュアの人たちでも楽しみながら撮影できるコンテストのネイチャーフォト部門みたいな写真で、写真家でいうなら前田真三や竹内敏信が代表的だね。
欧米では「ナチュラリスト」と呼ばれる人たちがいる。ナチュラリストとは、単なる自然愛好家ではなくて、自然現象を観察・分析し、科学的な視点により「人間と自然との関係とは?」、「世界はどのように成り立っているか?」を考える人たちの系譜のこと。そのような系譜の写真家と、ネイチャーフォト系の写真家の見分けがつかなくなってしまっているのが、日本の自然写真の現状だと思う。
自然写真の誕生
はじめに欧米の自然写真の流れを説明していこう。欧米の場合、とくにアメリカの自然写真は、特別な発達の仕方をしていると思う。アメリカは歴史的に見ると新しい国だから、写真が発明されたころにはまだ未開の土地がたくさん残っていた。だから19世紀後半では、アメリカ西部など人間の手が加わっていない未開の自然を写真で記録していこうという運動があったんだ。写真家のウィリアム・ヘンリー・ジャクソンや、ティモシー・H・オサリヴァン、カールトン・E・ワトキンズなどは、大判カメラを抱えて探検隊の人たちに同行して西部の大自然を記録していった。これがアメリカの自然写真の基本になっている。
また同じ時期にアメリカの何人かの知識人が、森の中に入って家を建てて生活し始めるんだ。その代表的な人が、ヘンリー・デイビッド・ソローという思想家だ。ソローの考え方が、アメリカの自然写真の考え方にすごい影響を与えたと考えていい。ソローはウォールデンという森に小屋を建てて、1人で暮らしはじめる。そこで暮らしながら考えたことを記録した『ウォールデン 森の生活』(1854年)を出版したんだ。これはアメリカ人にものすごく影響を与えていて、例えば1960年代にヒッピーの人たちから、「もう一度ソローに還れ」というような運動が出てくる。
アメリカの原風景 アンセル・アダムス
ソローに影響を受けた写真家の1人にアンセル・アダムスがいる。アンセル・アダムスは、カリフォルニア州のヨセミテにある大きな国立公園の小屋番をして、そこに住んでいた時期があったんだ。そのうちに大自然を写真に撮影したいという気持ちになり、写真家になった。アンセル・アダムスの写真は、アメリカの自然哲学を正統的に受け継いでいて、「神との一体化」を求める宗教的な意識が強かった。大自然に触れることで、人間の存在を超えた神の英知や存在に触れあうような写真を撮っていた。これはアメリカの自然写真の大きな特長だともいえるね。アンセル・アダムスは、エドワード・ウェストンらが作った「f64グループ」のメンバーでもあった。f64グループとは「絞りを最小まで絞る」ということを表していて、画面の隅から隅までピントがあったパンフォーカスの写真が特長なんだ。
またアンセル・アダムスのモノクロ・プリントの美しさはとても定評があって、彼はゾーン・システムと呼ばれる諧調を整えるプリントのシステムを確立したんだ。非常に細やかな、黒から白までのグラデーションがしっかりと整った綺麗なモノクロームプリントを作り上げている。彼の「ネガは楽譜であり、プリントは演奏である」という言葉は有名だね。つまりプリントが自分の世界観や美意識を反映しているんだ。彼の写真は大交響曲が聞こえてくるようにスケールが大きい。アメリカ人にとっての原風景だといってもいいだろうね。
カラーの自然写真の誕生 エリオット・ポーター
アンセル・アダムスと同じく代表的なアメリカ風景写真家にエリオット・ポーターがいる。ある意味で彼の写真は、日本の自然写真に近いところがある。エリオット・ポーターは、アンセル・アダムスの影響を受けて写真を撮りはじめるけど、ごく初期からカラー写真を使っているんだ。それまで撮影されていたモノクロームの自然写真は、象徴化された表現だったこともあって、自然の持っている色合いや空気感を正確に捉えることは難しかったと思う。エリオット・ポーターは医者になりたかった人で、科学者でもあった。写真の世界には鳥の研究から入っていくんだ。科学者の眼で見つめるというナチュラリストの精神が強い人だったから、ありのままの自然の姿を写すためにカラー写真を使い始める。ダイトランスファー・プリントという特殊なプリントで、カラー写真による自然写真のスタイルを作り上げていった。
彼の写真は、とても細やかでポエティックな感受性を感じさせる作品。だから日本の自然写真に近いところがある。写真集には、ナチュラリストのヘンリー・デイビッド・ソローの言葉から取った『In Wildness, Is The Preservation Of The World (邦題:野生にこそ世界の救い)』(1962年) がある。この「Wildness」という言葉は、宗教的な意味を含んでいて、神様の土地というニュアンスがあるんだ。神の土地(野生)こそ世界が保たれるという哲学を打ち出している。『In Wildness, Is The Preservation Of The World』は四季の移り変わりを細やかに追っていて、その辺りも日本人の季節感と近いと思う。
天地創造を表現した一大叙事詩 エルンスト・ハース
代表的なアメリカ的な自然写真家というなら、エルンスト・ハースも素晴らしい仕事をしたね。彼の『ザ・クリエイション (邦題:天地創造)』は、ソローの宗教観である「世界は神によって作られた」ということを自然写真を使い、叙事詩な物語の形で作り上げた意欲的な作品集。この写真集も欧米の自然写真家にとても大きな影響を与えている。
『ザ・クリエイション』は、神が7日間でこの世界を作り上げたことを聖書の内容を表現していて、水、風、火、大地、空の5大元素を表現している。波や火山、空など地球の活動の写真から始まるんだ。そして植物、魚、両生類、爬虫類、鳥類の写真が続いて、最後に人間の写真で終わる。この写真集は、過去に遡ることは不可能だから、現代の生物の写真を撮ることによって天地創造の世界を1冊の写真集で再構成しているんだけど、印象的なのが人間の写真の前に蛇の写真を配置していることだね。これはアダムとイブの世界を表現していて、最後のページに夜明けの朝日を背景にした草むらに寝ころぶ男女の写真で終わるんだ。こういう聖書の世界を背景にした写真を撮るのは、日本人には難しいと思う。エルンスト・ハースだけでなく、欧米の自然写真はスケールが非常に大きいことが特長だね。
飯沢耕太郎(いいざわこうたろう)
写真評論家。日本大学芸術学部写真学科卒業、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程 修了。
『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)でサントリー学芸賞、『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)で日本写真協会年度賞受賞。『写真を愉しむ』(岩波新書)、『都市の視線 増補』(平凡社)、『眼から眼へ』(みすず書房)、『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング)など著書多数。「キヤノン写真新世紀」などの公募展の審査員や、学校講師、写真展の企画など多方面で活躍している。
まとめ:加藤真貴子 (WINDY Co.)