東京写真美術館において6月14日から8月10日までの間、「世界報道写真展 2008」が開催された。同展覧会を訪れた飯沢氏は、ここ数年で報道写真の傾向が変わってきたという。そこで4回に渡って報道写真の遍歴や傾向など解説していただくことにした。報道写真の第1回目は「世界報道写真展2008」を振り返り、現代の報道写真の傾向について伺った。
変化する報道写真のあり方
まずは「世界報道写真展 2008」について話そうか。世界報道写真展とは、オランダにある世界報道写真財団が運営している世界報道写真コンテストの受賞作品展なんだ。今年は125カ国から5,019人の報道写真家の応募があり、80,536点もの作品が集まった。日本の展示会は朝日新聞社が主催していて、東京写真美術館や大阪の展示は終わってしまったけど、今後は滋賀(10月1日から19日、立命館大学びわこくさつキャンパス)、京都(10月21日から11月16日、立命館大学国際平和ミュージアム)、大分(11月19日から30日、立命館アジア太平洋大学)を巡回していく予定なんだ。
世界報道写真展は、東京写真美術館でもとても人気のある企画のひとつだね。平成14年から毎年開催されていて、今年で7回目を迎える。僕は報道写真というジャンルには関心もあるし、写真にとっても重要なジャンルだと思っている。しかし開催され始めた数年は見ていたけど、悲惨で生々しい現実や人間がストレートに写っている報道写真を見るとそれに圧倒されてしまうし、それを見ても何もできない自分に罪悪感すら覚えることがあった。それに報道写真に写っている被写体の人たちは、本当に大変な現実を背負って生きているわけだから、そのような写真を美術館で鑑賞することに対して、どこか重荷を背負わされているような思いを持っていた。だから本当のところを言うと、ここ数年は報道写真展を見ることに積極的になれなかったんだ。
だけど、今年ひさしぶりに行ってみたら、展示の基本的な構造は変わっていなかったけど、写真のあり方がずいぶん変わっていて驚いたね。写真家のコンセプトや主張が強調されていて、大げさにいえばアート的な写真に近くなっていた。だから美術館で展示するという意味でも、まったく違和感がない写真もたくさんあった。報道写真のあり方が変わったことに、"すごく面白い"と感じたし、同時に"これでいいのかな?"という疑問もあったけど、報道写真展に対する僕の印象が、大きく変わったのが今回の写真展だった。
現代の報道写真の特徴
例えば、「現代社会の問題」の部、組写真1位を取ったジャン・ルヴィヤールは、不法移民が住んでいるテント小屋を撮っている。この写真は宮本隆司の「ダンボールの家」のカラー版みたいなんだ。宮本はもちろん報道写真家ではなく、写真を使うアーティストだけど、彼が4×5のカメラで淡々と撮った写真と、ルヴィヤールの写真の撮り方はほとんど違っていないと思う。1990年代以降、写真展のあり方は、ただ写真を引き延ばして壁に展示するというストレートな方法論ではなく、コンセプトに基づいた現代美術と写真との境界線に位置するような写真表現や展示方法が増えてきた。そのような変化は、報道写真というジャンルでも考えざるをえなくなってきたんだと思う。
報道写真家や審査する報道写真財団のあり方が変わってきて、生々しい現実をストレートに表現した写真だけでなく、そこに写真家の意志というフィルターを入れた感じの報道写真が増えてきた。今回の報道写真展には、純粋なポートレートや静物写真のような作品も受賞している。また、カラー写真が多いことも特徴だった。以前の報道写真展は、モノクロの重々しいイメージがすごく多かった印象けど、今回は8割ちかくをカラー写真が占めていた。それとデジタル作品も当然のように出てきている。現代の報道写真は、報道の意識と作品制作の意識が一体化してきているのが現状なんだと思う。
今回、受賞した日本の写真家は高木忠智だけだった。それについて考えると、どうも日本の報道写真家たちは、今の報道写真のあり方や表現が変化してきたことに、対応しきれていないんじゃないのかな。それが1人しか選ばれなかった理由なんだと思う。しかも、選ばれた高木の写真も、とてもオーソドックスなモノクロームの報道写真っぽい仕事だったね。世界と日本における報道写真とのニュアンスの違いが逆に興味深かったけどね。
キャプションの重要性
報道写真は、キャプション(解説)というテキストがないと成立しないと思う。写真だけでは、「いつ」「どこで」「誰によって」「何が起きたか」を特定することは難しい。それらをきちんと特定するには言葉の力が必要になってくる。だから報道写真にはテキストは必要不可欠だけど、テキストの力が強くなりすぎると見る者をがんじがらめにしてしまうこともある。また、テキストが変わると、写真が全く別の意味になってしまうことだってあるんだ。テキストは諸刃の刃。その力をうまく利用することが必要になってくる。写真と言葉の力が一体化して、見る人に正しく伝わることが報道写真の基本的な形なんだ。
今回の展覧会の出品作は、テキストが非常にうまく付いていたと思う。長すぎもせず、短いタイトルだけでもない。タイトルだけだと写真の状況まではわかりにくいからね。今回の報道写真展は、写真が持つ「人に伝える力」が大きいことを改めて認識することができて、とても良い展覧会だった。東京会場は終わってしまったけど、地方の会場での開催は残っているし、また来年も東京都写真美術館で開催されると思う。ぜひ見て欲しいね。
飯沢耕太郎(いいざわこうたろう)
写真評論家。日本大学芸術学部写真学科卒業、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程 修了。
『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)でサントリー学芸賞、『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)で日本写真協会年度賞受賞。『写真を愉しむ』(岩波新書)、『都市の視線 増補』(平凡社)、『眼から眼へ』(みすず書房)、『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング)など著書多数。「キヤノン写真新世紀」などの公募展の審査員や、学校講師、写真展の企画など多方面で活躍している。
まとめ:加藤真貴子 (WINDY Co.)