写真の楽しみ方には「撮る」楽しみのほかに、「見る」楽しみがある。写真を見るには、展覧会やギャラリーなどに足を運ぶことが重要だが、今回はもっとも手軽に楽しめる「写真集」の魅力をについて飯沢氏に話を伺った。
写真家の意図を伝えやすい写真集
まず「写真集とは、何なのか?」という話から始めようか。写真集は、複数の写真を並べることによって、写真家の意図を伝えるメディアなんだ。1枚の写真だけでは、写真家が何を言いたいか分かりにくいと思うし、伝えたかった意図を誤解されてしまうことだってある。意図を伝えるために複数の写真を並べるという方法論は、写真を発明時からあった。それは展覧会も同じだけど、展覧会は展示期間が限られているし、期間や場所によって見たくても見られない人が少なからずいることになる。その点写真集は、何千部、何万部と発行されるから、多くの人が購入できるし、自宅にいながらじっくり見ることができる。また、紙に印刷されることで、後世に残すこともできる。いまでも100年以上前に刊行された写真集が残っていて、その頃の人たちの生活とか、風景など知ることができるのはすごいことだよ。写真家にとって、また写真を見る我々にとって、写真集はすごく重要なメディアなんだ。
写真集は印刷媒体だから、1枚1枚プリントする写真とは性質が違う。写真を印画紙に焼き付けるには時間と手間がかかるし、大量に作るといってもせいぜい何百部という単位だろう。しかし印刷されることで、何千部何万部、もしかしたら何百万部という桁違いの大量生産が可能になる。報道写真なんかにも言えるけど、それだけ伝播力が強くなるんだ。
世界最初の写真集 『自然の鉛筆』
世界最初の写真集は、いつ誰によって作られたのか? まず写真の誕生からおさらいしてみよう。1839年8月1日にフランス・パリの科学アカデミーと芸術アカデミーの合同会議の席上で、画家のルイ・ジャック・マンデ・ダゲールが発明した「ダゲレオタイプ」の技法が発表された。これが実用的な写真術の誕生だと言われている。ダゲレオタイプは、金属板の上に直接画像を焼き付ける方法で、1回の撮影に1枚しか作ることができなかった。そのダゲレオタイプと同時期に、イギリスで独自に写真技法の研究を進めていたウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットが、「カロタイプ」を開発する。カロタイプはダゲレオタイプと違って、ネガを反転して紙に焼き付けるネガ/ポジ方式なので、1回の撮影から何枚も写真を複製することができたんだ。その利点を活かして、タルボットが1844年から1846年の間、6冊に分けて『自然の鉛筆』(The Pencil of Nature)を刊行する。当時、まだ写真を印刷する技術がなかったので、写真集はプリントした写真を直接貼り付けたもので、発行部数は200部程度だ。この『自然の鉛筆』が世界最初の写真集だといわれている。
実は1843年にイギリスの女性写真研究者で、海藻の研究もしていたアンナ・アトキンズが、『イギリスの藻類 --- サイアノタイプの印象』(Photographs of British Algae : Cyanotype Impressions)を私家版の写真集として刊行している。この写真集は、アトキンズが採った海藻を印画紙の上に置いて感光させたフォトグラムで作られたものだ。サイアノタイプとは、鉄塩の化学反応を利用した写真・複写技法で、光の明暗が青色の濃淡として写るいわゆる「青写真」のこと。アトキンズはその写真を綴じあわせて、手書きのキャプションを付けた手作り写真集を作っていた。ただこの写真集は、プライベートなサークルの中で配られたもので、多くの人の目に触れることはなかった。仲間内だけに配られた彼女の写真集は、本当の意味での写真集か? という疑問が僕には残るんだよ。だから、タルボットが作った『自然の鉛筆』が世界最初の写真集だといっていいと思う。
『自然の鉛筆』は、貼り付けられた写真の横にキャプション(解説)がついている。その写真の内容は、スナップショット、風景写真、商品見本写真、印刷物の複写や絵画の複写など多岐にわたっていて、彼はダゲレオタイプと比較してカロタイプがいかに優れて便利なものかを世の中に証明しようとしたんじゃないのかな。そのため『自然の鉛筆』は、カロタイプの宣伝用パンフレット的な意味合いが強くて、作者の一貫した意図を伝えるところまでは到達していない。並んでいる写真に関連性はなくて、ページをめくると、まったく違う写真が出てくる。写真集というものは複数の写真の連なりで、写真家の思想や、起きた出来事など、読み手に伝わらなくてはいけない。そういう意味なら、僕から言わせれば、『自然の鉛筆』はまだ写真集として不完全だったと思うね。
写真集の原点『アメリカン・フォトグラフス』
19世紀になると印刷技術が進んで、写真を印刷できるようになり数多くの写真集が刊行された。しかし、残念なことに現在の形に近い写真集は登場しなかったんだ。僕の考えでは、現在の写真集に近い形で実現したのは、アメリカのウォーカー・エヴァンズが1938年に刊行した『アメリカン・フォトグラフス』(American Photographs)だと思う。この写真集は、1938年にニューヨーク近代美術館で開催された同名の展覧会と同時に刊行された。興味深いことに、展覧会のカタログではない。収められている写真が、展示は100点、写真集は83点と枚数が異なり、並べ方も変えて写真集として成立させている。
写真集の内容を第1部と第2部に分けて、第1部がさまざまな階層、職業、人種の人たちおよびポスターや看板などの都市の記号を中心にした50枚で、第2部がエヴァンズが一貫して関心を持ち続けてき建物の写真37枚で構成されている。レイアウトも見開きページの右ページに写真を1枚だけ掲載していて、キャプションはなく、ノンブル(ページ数)だけが打ってある。そして第1部と第2部の最後にリストがついていて、ノンブルごとにキャプションがついているんだ。このレイアウトを見ると、エヴァンズが純粋に写真だけを見せようと意図して作っていることがわかる。
この写真集は、1930年代のアメリカを1冊でよく現している。例えば自動車が人々の生活の中に入ってくる、いわゆるモータリゼーションの進展がよく写し出されているんだ。自動車という新しい乗り物がどのように人々の生活の中に関わってきて、重要な役割を果たしているか、この写真集を見るとよくわかる。エヴァンズは、自動車がいかにアメリカの社会を変えたのかを伝えようとしている。それをキャプションで書かないで、写真だけで伝えようとしたことは画期的だった。
また、非常に完成度の高い作品で、写真家の感性だけでなく、社会学者の眼を使って構造的に作られている。その後、多くの作家が写真集を出しているけど、匹敵する完成度のものは出現していないといいたくなるほど、素晴らしい出来上がりなんだよ。エヴァンズ自身、それ以降も何冊か写真集を刊行しているけど、これ以上の写真集を出せなかった。写真集の歴史の最初で、最高地点のレベルに達する写真集が生まれた奇跡のような写真集なんだ。
1956年にロバート・フランクが刊行した『アメリカ人』(The Americans)は、エヴァンズの『アメリカン・フォトグラフス』を意識しているところがあると思う。『アメリカ人』は、現代写真の起点となる重要な写真集で、その後の写真家たちに与えた影響も強いね。彼は1955年から56年にかけて、全米48州を家族とともに旅しながら撮り続けた。『アメリカ人』は、そのときの写真をまとめたもので、50年代の自動車とアメリカ人との関係を表している写真がいくつかあるんだ。それと「星条旗」と「ジュークボックス」の写真も繰り返し使われている。多分ロバート・フランクがスイス人なので、この時代のアメリカらしさはどういったことなのか旅をしながら考えていくときに、その2つのイメージに行き着いたんだと思う。
『アメリカ人』の中身は、版を重ねるごとに少しずつ変わってくる。僕が持っているのは1番最後に奥さんと子どもの写真が入っているけど、初版にはない写真なんだ。この写真が入ってくることで、プライベートフォト的な印象になり、「50年代のアメリカ」とは違う「家族との旅の記録」という、もう1つのストーリー性が見えてくる。この写真集は、見直せば見直すほど味わい深くて、いろいろな発見がある写真集のひとつだね。
飯沢耕太郎(いいざわこうたろう)
写真評論家。日本大学芸術学部写真学科卒業、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程 修了。
『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)でサントリー学芸賞、『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)で日本写真協会年度賞受賞。『写真を愉しむ』(岩波新書)、『都市の視線 増補』(平凡社)、『眼から眼へ』(みすず書房)、『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング)など著書多数。「キヤノン写真新世紀」などの公募展の審査員や、学校講師、写真展の企画など多方面で活躍している。
まとめ:加藤真貴子 (WINDY Co.)