鉄道旅行をしていると、人々が織りなす思いがけないドラマにハッとすることがある。その貴重な瞬間を捉えたいという想いは、旅をするほどにつのるもの。鉄道風景の中の人をどのように見つめ、撮るのか。鉄道写真家でありながら、列車の撮影よりも土地の人との会話が好きだという真島満秀さんに、その想いをうかがった。

JR御殿場線谷峨(やが)駅にて。「ずいぶん前の撮影です。撮影データはあえて言わない。数字を覚えても、ドラマは撮れないからね」と真島さん

ドラマチックな偶然は意外に少ない

「宿題はやったの? 」といきなり真島さんに質問され、笑顔がひきつる筆者。宿題とは第5回の取材で提示された「"柔軟で芯のある想い"を培うため、鉄道ではないものを鉄道だと思って撮る」ということだ。忘れ物をした筆者に、「列車や写真技術のことだけに想いが偏っては、旅のドラマとは出会えないな」と、真島さんは苦笑いする。

では、真島さんは旅のドラマを撮影するため、どのような想いを持っているのだろうか。その答えは意外なものだった。「全くの偶然で旅のドラマを撮れることは少ないんですよ。時間をかけてシャッターチャンスを待つのは当たり前だし、時には通りがかりの人に声をかけて、構図に入ってもらうこともあります」。真島さんはとても話し好きで、見ず知らずの人に声を掛けることをまったく苦にしない。そして、土地の人との会話から風土を理解するのが、この上ない喜びだそうだ。「人と出会いたい、話したい、それがぼくの想いなのかな」。そのような人柄から生まれるのが、情感あふれる作品なのだ。

"記憶のアンテナ"は"見る"ことで育つ

では、この作品も偶然ではないのか。「これは偶然だよ。ただし、」と話は続く。「ぼくには、旅の中で育てつづけてきた"記憶のアンテナ"があります」。それは"この駅は学校が近いから子どもが来るな"とか、"ここには大きな桜があるな"というような記憶から成る勘のようなもの。「桜前線を追いかけて御殿場線に来たとき、満開の桜を見て"記憶のアンテナ"が働きました。谷峨に行けば、ドラマがあるんじゃないか、とね」。そしてこの駅に来たら、この情景があったというわけだ。「だから、厳密にいうとこれは偶然じゃない。ぼくが捜し当てた宝だね」。

旅をするチャンスが限られている我々素人にも、プロのように"記憶のアンテナ"を育てることはできると真島さんは言う。「すべてものを見ること、見つづけることです。カメラを持っていない日でも"桜がきれいだな""子どもがかわいいな"と感じて、心のシャッターをどんどん切る。心が動いたという記憶の積み重ねが、"記憶のアンテナ"に育つんじゃないかな」。

"柔軟で芯のある想い""記憶のアンテナ"というふたつの宿題。次回は、忘れずに提出したい。

筆者撮影。真島さん談「いい光をとらえたね。もっとドラマチックな人が通ってくれるとよかったけど、それも運だね。ぼくみたいに、鉄道を見て、見つづけていると、運も味方するんだよ。不思議と」。

最後に、皆さんに残念なお知らせがあります。この連載において、鉄道撮影の技術指導をしていただいている真島満秀写真事務所と筆者からのコメントをお届けします。

真島満秀写真事務所主宰 真島満秀は、3月14日夜急逝いたしました。
生前に賜りましたご懇情に、厚く御礼申し上げます。
真島は、健康には自信とプライドを持っていました。
誰にも入院、闘病を知らせることなく、あっという間に逝ってしまったのは真島らしいとは思いますが、
悔しく、残念な気持ちでいっぱいです。
私たちの今後について多くのご質問をいただいておりますが、ご遺族の悲しみが大きい今は、
このコメントが精一杯であることをお察しいただければ幸いです。

2009年3月18日
猪井貴志 長根広和 笠原良 助川康史
この原稿は、真島さんがお元気だった頃に取材、執筆したものです。
写真以上に言葉での表現にこだわり、
「想い」を会話で伝えることに情熱を注がれた真島さんを偲んで、
執筆時のままの掲載をお願いしました。
謹んで哀悼の意を表します。

2009年3月18日 
吉永直子