• 「翼」をください

文章を書く仕事をしているため、ときどき言葉の意味を正確に調べたいことがある。もちろん、インターネット検索でもいいのだが、人様に読んでいただく文章なので「確実な信頼性」が必要で「ググったら出てきた」では困る。そうなると、調べるのは、やはり辞書ということになる。辞書には、「権威」があり、少なくとも、著名な辞書であれば、その内容を信頼して問題ない。

しかし、電子的な辞書は、このところあまりぱっとしない状態だ。主流はスマホ用アプリであり、専用機である電子辞書も昼間の通販番組で見かける。しかし、PCで仕事をしているなら、表示されているテキストをそのまま検索したい。電子辞書が安価になったからといって、パソコンの画面を見て、キーボードから検索語を打ち込むなんてことはしたくない。

日本語の中には、読み方がわからないものも少なくない。辞書には画数から漢字を探して読み方を調べる方法もないわけではないが、少し手間がかかりすぎる。また、PCのテキストを転送してスマートフォンのアプリで検索するのもちょっと大変だ。そうなると、やはりPCで動く電子的な辞書が使いたくなる。現行製品もいくつかあり、Officeアプリなどとの連携もできるようだが、あいにくと筆者は、こうした著名アプリを使っていない。

そういうわけで筆者は、昔、手に入れた「辞書」を使い続けている。Windowsがバージョンアップして、辞書に付属してきたソフトウェアはインストールもできなくなったが、幸運なことにフォーマット情報が公開されていたEPWINGなどで辞書が作られていたため、これを検索できるソフトウェアには最近のOSでも動作するものがある。

EPWingは、1987年に岩波書店、ソニー、大日本印刷、富士通の共同開発で原型となるWING仕様が作られた。ちなみにWINGとは4社の会議が行われた品川駅前のWing高輪ビル(当時ソニーが入居していた)にちなんだもの。CD-ROM上のファイルシステムISO-9660のベースになったHigh Sierraフォーマットが、やはり会議が行われたホテルの名前だったなど、当時の流行だったようである。翌年にはISO-9660上の「電子出版WING(EPWING)第1版(V1)」規格が作られる。1991年にはこの4社を中心にEPWINGコンソーシアムが結成される。

ソニーは電子ブックDD-1を発売し電子ブックコミッティを結成、EB(Electronic Book)フォーマットを推進するが、これもWINGがベースだった。ファイル名などが違い直接の互換性はないものの、ファイル形式や検索処理などが似ており、多くのEPWING検索ソフトはEB系フォーマットにも対応している。その後、1996年にEPWINGなどをベースにJIS X4081 日本語電子出版検索データ構造が制定された。もう30年以上も前の話なので、読者の中にはまだ産まれていなかった方もいるだろうし、CD-ROMなんて見たことないという人もいるだろう。ま、あれだ、歴史の彼方に埋もれた古代の技術がひそかに受け継がれ、いまだに生きているというやつだ。

EPWINGに対応したソフトウェアには、GUIもあれば、コマンドラインもある。Windows、Linuxなど多くのプラットフォーム用に検索ソフトウェアが作られている。肝心の辞書も中古品を含めいまだに流通があり、インターネットのショッピングサイトでも購入は可能だ。注意が必要なのは、CD-ROMやDVDに収録されているからといって必ずしも公開フォーマットとは限らないことだ。EPWING対応と明記してあれば問題ないはずだが、ご自身による調査や確認は必要である。

もっとも、新しい辞書や最近の改訂版が手に入るのか、というとそういうわけでもない。たとえば、広辞苑の最新版は第七版だが、EPWINGで手に入るのは第六~四版でしかない。もっとも、最新の用語を調べるわけではないので最新の広辞苑でなくても問題はない。

“EPWING”で検索すれば、検索ソフトはすぐ見つかる。たとえばEBWin4(写真01)は、現在でも開発が続くEPWING検索ソフトウェアだ。最新の更新は今年4月。Windowsで動くGUIアプリケーションだが、コマンドラインから辞書や検索語の指定が可能なため、Windowsではテキストエディタなどと組み合わせることも可能だ。

  • 写真01: 画像表示なども可能なEBwin4。辞書をグループ化して登録、串刺し検索などが可能。起動オプションで辞書や検索語を指定可能

Linuxでもディストリビューションによっては、パッケージで容易に入手可能なものがある。たとえば、eblookは、aptなどdpkg系のパッケージマネージャーからインストールが可能だ。なので、ChromebookのLinux環境(Crostini)でも利用できる。また、ChromebookでGUI検索したいならEBWin4のAndroid版EBPccketがある。

こうしたアプリケーションをうまく利用すると、さまざまな利用が可能になる。eblookは、コマンドラインからそのまま利用でき、emacsのlook.elマクロは、エディタ内でeblookを使った辞書検索が行える(写真02)。

  • 写真02: Linux上のEPWING検索ソフトeblookは、emacsエディタのlookup-elマクロを登録することでエディタ内での検索を可能にする

広辞苑はマイクロプロセッサが産まれるよりも前、戦後間もない1955年に発売された。コンピュータがトランジスタになろうかという時代である。すでに忘れされられた30年以上も前の技術EPWINGなどだが、最新のWindowsやChromebookでも辞書検索を可能にしてくれる。古代文明の遺跡みたいなものだが、いまでも信頼できて役にたつ。