少し前、とある巨大掲示板で、風俗嬢とその客のやりとりを見てみたことがある。読みながら思わず寂しい笑顔になってしまった。なぜかというと、男性客と風俗嬢が、ずっと同じやりとりを繰り返していたからだ。

「セックスが好きで風俗嬢になったんでしょ?」
「そんなわけねーだろ」

手を変え品を変え、同じ趣旨の質問と回答がリピートされるのだ。

「すごいテクの客ってどんなの?」
「早く終わるのが一番だよ」
「今まででよかったセックスってどんな?」
「単なる仕事だからそんなのねーよ」

夢を見たい男性客と、現実的な風俗嬢の本音が、全然かみ合うことがない。しかしこの手のすれ違いは、一般の男女にもボロボロあるよな、と思わずにいられなかった。……それにしても、男性客が「男のすごいテク」を提供してあげられていると思うところが、男ってポジティブだなあ。引き替え、「早く終わるのが一番」というクールな返事が、女には深く頷けるところである。

男にとって風俗はひどく脳天気な場所である。そりゃそうだよな。男にとって風俗は遊園地みたいなものだもの。男友達に「男向け漫画で風俗を扱った漫画はある?」と聞いたら、「男向けで風俗を扱ったら、体験漫画になっちゃうなあ」だそうだ(※男性向けでも風俗を扱った漫画がないわけではない。安田弘之の『ちひろ』は風俗嬢が主人公、そのほか安野モヨコの『さくらん』も一応男性向けだろう)。

しかし女にとっては、風俗はアンパンマンみたいに、お腹のすいた人に自分をちぎってあげて満足させる場所である。遊ぶほうと身を削るほう。全然立場が違うのだ。様々な思いを起こさせる存在であるため、女性向け漫画で愛と性を語るとき、風俗というのは割とよく出てくる設定である。

『あすなろ坂』は、全9巻、ひいばばからひ孫までの4世代で、2回も身売り(遊郭や女郎屋)ネタが登場する。最初は、武史さんと芙美の息子の新之助(これまた草食)が、遊女を身請けして結婚すると言い出す。次は武史さんと芙美のひ孫たちが、満州で孤児となり、娼家で下働きをしている。結局、身体は無事なまま(主人公だからネ)晴れて身元がわかり、身請けしてもらって日本に帰ってくるが、「女郎屋で育った=女郎だった」という噂が広まってしまう。

どちらの場合も、「女が身体を売る」というネタが、男の純愛を試す試練として使われている。新之助は初体験を遊女のおきくにささげ、金もないのに結婚したいと無茶を言い出す。普通に考えたら、男より女のほうが経験豊富だったら、男は「俺は満足させてやれてるんだろうか」とか「ちいせえとか思ってないかな」などと男の沽券で頭がいっぱいになってしまいそうだが、その辺は少女漫画なのでスルーらしい。

またひ孫の1人に縁談が持ち上がったとき、婚約者の男の耳に、ひ孫が遊女だったというガセネタが入るが、男はまったく気にもかけない。「過去や環境はどうでもいい。彼女自身がすばらしい人だから」みたいな。

新之助もひ孫の婚約者も、「心が汚れていなければいいのだ」と言う(そういや娘の史織も、そんな台詞を母親に言ってもらって元気になっていたな)。純血を望む男に対して、「環境なんかで私を評価しないでよ。私の中身を見て!」と訴えているのである。「君が君である限り、僕は君が好きだ!」と言わせて、男の誠意を測るのに風俗という環境はとても便利なのだ。

ちなみに話が現代になると、例えば『わたしのからだ わたしのねだん』にあるように、援助交際が身売りネタとして使われるが、やはりそれは、「男の愛の深さを測るため」に使われている。一方で、レディスエロやティーンズラブに身売りネタはほとんど登場しない。愛のないところに快感はないのが、女というものなのである。

「男は性欲で女を使うことがあるけれど、その責任は男が愛情という形でしっかり取ってよね」ということか。
<『あすなろ坂』編 FIN>