少女漫画には、「大好きな歴史上のキャラ」というのがある。例えばサン・ジュストとか、チェーザレ・ボルジアとかの冷徹系美男子、それから美女で才女のたぐい。堂々と名前を冠した作品はないけれども、それらしい時代設定となると、ちょい役なんかでよく登場する。
女で言えば、額田王なんかもそうだ。額田王は、めちゃくちゃ女好きのするキャラである。才女で(多分)、万葉集にじゃんじゃん歌が残っており、大海人皇子の妻だったかと思えば、兄の天智天皇に鞍替えしたりして、弟から兄へ、権力者の間を綱渡り。女の隠れた欲望をここぞとばかりに実現している。
里中真智子といえば、その額田王を題材にした『天上の虹』が現在では有名だと思うが、実は私、「額田王は、ホントは大海人皇子の嫁ではなかったのだー!」という衝撃的なよそ様の論文をパクって卒論を書いたことがあり(ボツになりましたが)、どうにも『天上の虹』とは相容れない内容だったため、感情移入することができず。ゆえに今回は『あすなろ坂』でいかせていただきます。
ストーリーは、幕末から終戦まで。幕末のお転婆娘・芙美さんが嫁に行くところから始まり、大往生までを描く。話が進むに連れて主人公は移り変わり、芙美の子どもたち、孫、そしてひ孫までが描かれている。日本史に照らし合わせた展開で、最近の漫画にはまずない壮大な大河ドラマである。ひい婆、婆、母、娘と、登場する女たちは、四代にわたって全員「女の人生」を戦っちゃってる勇ましい者どもである。連載は70年代後半から80年まで。まさに女があくせくと奮起していた時代である。大体、70年代の漫画には大正デモクラシー前後のブルーストッキングな話が多いのだ。
さて、少女漫画の絶対条件は恋愛である。その見せ方として、男女がやきもきしちゃって、うまくいったりいかなかったりという混沌のほかに、セックスそのものを扱う場合がある。「性とはなんぞや」「私とセックス観」みたいなテーマで、主人公のセックスシーンが描かれるも、サービスシーンは少なく、前後の思考が重要な場合である。
『あすなろ坂』で感じられるのは、セックスに対する重さである。ここで取り上げられているのは、死ぬ覚悟の初体験(不倫)、不倫(望まれない妊娠)、遊女との恋、レイプ、女郎屋へ身売りと、どれもこれもずっしり重い。そのたびに、主人公たちはウンウンと悩み考え、ザックザックと前へ進んでいく。いたずらにサービス旺盛な男子など、人っ子一人登場しないのである。
昔の少女漫画は、「セックスはたいそうなもの」で、永遠の愛、運命の人とバラの花散らしながら、涙なんか流しつつ感動的に行われたものだ(『ベルサイユのばら』『王家の紋章』など)。一方で現在はどうかというと、セックス自体はたいそうなものじゃなくなっているけれど、『覇王愛人』『愛と欲望の螺旋』『僕は妹に恋をする』などに見るように、相変わらず男は主人公を好きで好きで、サービス満点、誠意あるセックスを行っているようである。
つまり時代は変わっても、相変わらず女は「セックスは深い愛ゆえのもの」という意識であるわけだ。やるかやらないか、もったいつけるかつけないかの違いだけで、いくら性の解放とか言われても、まったく女の本音は変わっていないことになる。「年上のお姉さんは、簡単にやらせてくれそう♪」などと夢見ちゃって、ついつまみ食いをした男子よ、彼女たちはこうした「重厚なセックス観」を持つ漫画を読んで育っているのだ。相手によっては、食ったあとに楳図かずおの漫画バリに怖い目に遭うかもしれないとを覚悟しておこう。
というわけで、次回からはストーリーの詳細を突っつきつつ語っていこうと思う。
<つづく>