むかしむかし、あるところに、スゲーイケメンと超美女がいました。2人は一目見るなり恋に落ち、一生仲良く暮らしました。ちゃんちゃん。こんなお話があったらどうだろう。3行で話が終わってしまうな。しかもそんな内容を編集者に『大菩薩峠』なみの大長編にしてくれ、とか言われたら、作者は胃に穴が空いてしまうに違いない。ストーリーを盛り上げるには、なんらかの問題がなければ厳しいからだ。
そのため、レンアイもののストーリーには、必ず障害が登場する。それはほかの女だったり、実は兄弟かもしれないという疑惑だったり、ホントに兄弟だったり、年の差だったり、記憶喪失だったり、生死だったりするわけだ。こういうものが、愛し合う2人の仲を裂かなければならない。
相思相愛に至る前は、片思いだ。登場する2人とも、非常に積極的で自分の気持ちを正直に表せて、相手の気持ちをよく読む子同士だったら、出会った途端に片思いは解消し、FINってことになる。片思いは「あの人は私のことが好きかしら?」なーんてこと(これも障害だな)でうだうだ悩むからおもしろいのだ。
先日、とある指導者がわいせつ行為で逮捕された。私はその人と面識があったため、非常に衝撃であった。……やった……のかもしれないな、と思えちゃうところが。それにしても、やったら問題になることがわかっているのに、どうしてこうした事件が後を絶たないのか。持てるものをすべて失うリスクよりも、劣情デトックスすることのほうが大事だということなのだろうか。
ひとつ思うのは、こうしたハラスメントが、女にとって爆発的に汚らわしいものだという意識が加害者に薄いのかも知れないということ。自分が欲情してるもんだから、相手もそうなんだろうな、とかなんとなーく思っちゃってるんだろうか。ポジティブすぎである。でも同じことをしたとて、相手の女がその男に好意を持っていた場合は、ハラスメントどころか大サービスになるのだから、男はかなり空気を読まなければならないわけだ。がんばれ。
そこで『I LOVE HER』。この話の障害要素は、主人公・花とその恋愛の相手が「生徒と先生であること」と「ほかの女の存在」だ。なんだかんだ、うだうだやりながら、片思いネタを楽しむのだが、ちょっと感心したのは、教師である新ちゃんの思い切った行動である。花にデコチューするシーンがあるのだ。しかもデコチュー相手は、花だけではなく、ライバルとも言える美少女にもやっている模様。2人の少女がもし、新ちゃんに何の興味もなかったら、わいせつ教師で北海道の教育委員会は大問題のはずである。
ほのかに思いを寄せる相手からアプローチがあったら、もう全身しびれクラゲみたいにうれしいものだ。相手は先生だし~、大人の女の人がいいに決まってて~、あたしみたいな子どもは相手にしてくれないだろうな~、なんて障害の種を自分で並べてモヤモヤ考えてる花にしてみたら、デコチューは最上級のサービスに違いない。
またデコチューというのが上手いね。セクシャルな要素がなく(そういえばエロ媒体でデコチューなんか見たことがないな)、ラブ度が非常に伝わる。そのほか、頭なで、指つなぎ、肩にもたれなどが、デコチューに匹敵する萌え攻撃かと思われる。男性諸君はメモっとくように。
随分前に『ライ麦畑で捕まえて』を読んだとき、まったく何の感慨も湧かなかった。感情移入するには歳をとってしまっていたらしく、また作品の奥深さを読み取るには若かったらしい。作品には、「出会うべき旬の時期」というのがある。中学生、高校生がこの『I
LOVE HER』に触れたら、ガツンとくることは想像に易い……が、学校の先生自体、もう十数年触れ合ってないので、少々遠い世界のお話のようで……。自分の子どもが高校に上がるくらいに読んだらまた違うのかもしれないが。
<『I LOVE HER』編 FIN>