テニスの最中に、腰を抜かしたことがある。それは、男子のインカレ選手とペアを組んで試合をしたときのことだ。試合の前に「リターンが前衛にかかるかもしれないので、フォローお願いします」と言ったら(ダブルスっていうのは、こういうことをペア同士で相談するもんなのである)、「大丈夫、僕が守ってあげますから安心してください」と笑顔で返答されたのだ。ペアを励ますのがダブルスのセオリーとはいえ、この台詞には胸を打ち抜かれた。
しかも有言実行で、どう考えても私が拾うべき球をあり得ないスピードで取りに行き、あり得ないコースにあり得ない速さの球を打ってくれた。感動に打ち震えちゃって、もうよだれを垂らしながらのプレイである。
だいたい、「僕が守ってあげます」なんて、実生活で言われた女がどれだけいるだろう。つーか、私はない。しかし、それが口だけで何もしなかったり、力んで下手を打たれると寒いだけなのだが、彼の場合は言葉に違わずスーパーマン並の能力を見せて守ってくれたのである……これで腰を抜かさずして、いつ抜かすというのか。
この話は、どの女に話しても、「うはーん」となって聞いている。極上のヲトメ萌えなのである。そして、まさに「守ってやる」と言って、有言実行なのが『MARS』の零なのだ。
美術部のキラが描いた絵を気に入った零が、彼女の絵をもらう代わりに彼女を「守ってやる」と言うのだ。「俺にできるのはそれくらいだからな」などと言っているが、それ以外に女が欲しいものなんか、大してないのだ。零は無邪気にキラーパスを送りつけてるわけで、さすがは少女漫画のヒーローである。
そして、有言実行。これまたよくしたもので、話が始まった途端、キラは高校教師にセクハラされるわ、絵の盗作をされるわ、「守ってください」と言わんばかりにトラブルに遭う。そのたびに、零はボッコボコと悪者退治をしてくれるのである。読者のヲトメが、どれだけ腰を抜かしただろうか。
そのうえ、零はなんやかんやトラウマがあり、一時は精神科にお世話になるほどであったらしい。凶暴で自暴自棄で、手がつけられなかったところを、「キラに会って変わった」などと言われている。これがまたヲトメ萌えなのだ。自分の愛で、男を地獄から救う……これ以上の存在意義があるだろうか。浮気の心配ゼロである。
しかも、零はイケメンスポーツマンなので、女を食い放題。彼女ができればヤりまくり、零に恋する晴美ともなさり、教師に、将来何になりたいと聞かれれば「モテたい、ハメたい、イキたい」と答えるほど、シモが元気な少年である。にもかかわらず、ここでも少女漫画のセオリーを発揮し、全15巻中、キラとは1巻で早くも両思いになっているにもかかわらず、やっとのことで未遂が起こるのが5巻、そしてついに二人が結ばれるのが8巻と、これまたずいぶんお待ちになる。
これは、シモに寄らない少女漫画としては早いほうかもしれないが、それまでに零のご乱交がタップリ披露されているだけあって、「あの零が手を出さない」などと言われて、よりキラに対する純愛度が引き立つ形になっている。少女漫画界では、男が「安易に手を出さない(出せない)」ことが愛の証であり、手を出したら出したで「愛の深さ故に激しく求めてしまう」のが愛なのである。つまり、やろうがやるまいが、要は愛があればいいのだ。
そして、零はバイクのレーサーを目指す少年で、鈴鹿の8耐に出たりしている。少年漫画で試合やらレースやらが登場したら、それはストーリーの主軸にならざるを得ないわけだが(少年漫画の基本は目標、攻略、達成であるから)、少女漫画の場合は違う。ひたすら「零はかっこいいんですよ」というツールとして登場するのである。バイクレースにはそれほど詳しくないが、ウィリーして走り続けたり、初出場で記録を出すほど上位に食い込んだり(普段は学校とバイトに明け暮れている様子なのに)、よくあることなんですかね、実際は。
と、とにかくヲトメ萌え全開の『MARS』。次回は登場するライバルたちについて語りたいと思う。
<つづく>