少し前、高橋留美子の『犬夜叉』が最終回を迎えたというニュースが出た。私は結構この漫画が好きだった。最後のほうはなんだかドラゴンボール化し、奈落と犬夜叉がどんどんどんどん強くなって技比べみたいになっちゃったけど、この話にはヲトメ萌えテイストが結構あった。そのひとつが、クールな殺生丸さまが面倒を見ている、リンだ。リンに命を救われた殺生丸さまは、その後、彼女を守りながら連れて歩く。孤独で、人を愛さないような殺生丸さまの、懐の中に唯一入っているような特別感がとてつもなく萌えるのである。
同じような萌えが『ポーの一族』にもある。永遠の美少年エドガーとアラン。この2人が、森の中で拾った少女リデルを育てるのだ。成長しない不思議な少年たちに育てられたリデルは、あるとき、突然彼女の祖母の元に戻される。エドガーとアランは、リデルが自分たちの年齢に追いつく前に血縁を探しあて、彼女を預けると自分たちはそのまま消えてしまう。
エドガーとアランは、通常、他人と深く関わることをせずに、住む場所を転々として、自分たちの正体がバレないようにしている。しかし、リデルだけは彼らが成長しないことを知っており、彼らと一緒に旅をしながら暮らすのだ。2人に守られ、すくすくと成長をするリデル。彼女を自分たちの仲間に加えないことは、彼らの愛情の証でもあった。リデルは"特別に"彼らに愛された存在だったのだ。
一般的に男は浮気をするもの、女はひとりを深く追うもの、という概念がある。そのため男は「女は別れた後も俺を好き」と思いがちだし、女は「男は油断をすると浮気する」と思いがちだ。そのため、女はより強く「自分ひとり」を愛してほしいと思う(自分もそうしているのだし)。こうした思考から、「自分だけ」「唯一」というキーワードは、「特別」「自分ひとり」につながるため、特に女受けする言葉である。『花より男子』で、「牧野は特別だ」「変わっている」と男たちが連呼するのは、このためである。女を落とすときは、「唯一」「特別」といった言葉を端々に使うとよいかと思われる。
また、エドガーがひたすら愛した妹、メリーベルとの関係もヲトメ萌えシチュエーションである。バンパイアにさせられてしまったエドガーは、メリーベルを守る(バンパイアにさせない)ために、彼女を養女に出す。「すぐに迎えに行く」というエドガーの言葉を信じて、彼女はひたすら兄エドガーを待ち続けるのだ。その後2人は再会し、エドガーはメリーベルを仲間に加える。こうして孤独な兄妹ができあがった。
以前、スケートリンクに遊びに行ったとき、リンクの上でがっちりと半分抱き合うようにして、ヨロヨロと歩いている(滑るのではなく)カップルがいた。つまり男もスケート初心者だったらしい。しかし2人の世界は、なんか隔離されてるにもかかわらず確立されていて、異色ムードを発していた……そんなたどたどしい感じじゃないけど、エドガーとメリーベルには、世界から切り離された、2人だけの犯しがたい愛の世界がある。
たとえば『風の谷のナウシカ』で、樹海の底に落ちたナウシカとアスベルや、『シュガシュガルーン』で、闇の世界に迷い込んだショコラとピエールといったように、2人だけで困難な状況を脱するというのは、これまたヲトメ萌えシチュエーションである。まあ単に密室(?)に2人っきりというだけでも萌えるのに、その密室から抜け出すのに一致団結しなければならないというのは、フロイトとか渋澤龍彦とかが分析したら、セックスを示唆するとか言い出しそうだ。
エドガーとメリーベルは、兄弟なのでもちろんエロはなしだが、2人だけにしか分かち合えない世界というのは、やはり男女密室脱出作戦に通じるものがあり、「二人の世界」「二人で困難に立ち向かう」ことは、イコール「だからほかの女は入れない」「浮気の心配なし」という、ヲトメ萌えなんである。
<『ポーの一族』編 FIN>