世の中には、「乗って当たり前の路線」というのがあるらしい。
学校を卒業したら就職して(ここら辺は最近崩れているようだが)、就職したら結婚して、結婚したら子ども……という流れは、世の中の大抵の人が疑わない路線らしい。私が短い婚姻生活を終了させ、晴れてバツイチになったとき、一番嬉しかったことと言えば、もう金輪際、人から「子供はいつ?」などという質問をされなくて済むんだということだった。
別に子どもが欲しいとも思ってなかったのだが、それにしても執拗に聞かれるので、相当うんざりした。どうしてこんな無神経な質問をすることが当たり前になっているのだろう。これでもし「子どもが欲しいけどできない」という状態だったら、どれほど辛い質問だろうかと思う。今度誰かにそんな質問されたら、それを理由に嘘泣きしてやろうと思っているうちに離婚したので、やったことはないけど、そのくらい辟易した。
しかし今に比べてもっと保守的で排他的だった昔は、それこそ子どもの産めない女は大変だったようである。現在、昼ドラで放映中の『花衣夢衣』は、そんな大変な女が主人公の話である。
作者の津雲むつみは、ドラマ『おれは男だ!』や『このこ誰の子?』『風のロンド』などの原作漫画を描いた人だ。作数の割にはドラマ化が多く、ドラマチック(つーかドロドロ)な話が何ともうまい。
以下、勝手に物語の構成の様子を妄想すると、この話は「姉妹でひとりの男を取り合ったら、おもしろそうだな」という発想の元に作られたのだと思う。妹の夫を、姉が奪ってしまったらどうだろう。しかし、ただ奪ってしまうだけでは、妹だって黙っちゃいない。話が陳腐にならないためには、大きな理由が必要だ。そう、妹は姉に文句が言えない、大きな借りがあったのだ……それはなんだ? そうだ、姉は妹の身代わりになって男に襲われ、子どもの産めない身体になってしまうというのはどうだろう。そうだ姉妹は双子がいい。入れ替わるのに無理がない。引っ込み思案な妹に代わって、姉が男とデートに行く。しかしそいつは、実は猛獣で姉が襲われてしまうのだ。そのうえ妊娠、中絶、失敗、不妊。大変だ。妹は姉に大きな借りを作ってしまった。
しかし、それだけでは姉が妹の夫を取る理由にはならない。姉は事件の後、恋をする。しかし子どもが産めないことから、泣く泣く諦めたのだ。しかしその男、なんと見合いで妹と結婚してしまったのだった! 妹には自分の恋の話はしていない。だから彼女に罪はないけれど……本当だったら彼と結婚するのは私だったはずなのに……! これなら、姉が妹の夫に執着するのも、妹が夫を姉に取られて我慢しているのにも納得がいく。子どもが産めないことが大事件になるのだから、少し昔の話だな。戦後なら、姉を襲った男は日本人以外でもいいだろう。できたできた。
こうして『夢衣花衣』のあらすじは完成した(多分な)。結婚を諦めた姉・真帆は、友禅作家として身を立てる決心をする。一方、妹・澪は家庭と仕事(夫の家業である呉服屋)を両立させながら、やはり自立をしていく。原作では女向け漫画の基本である、「女の自立」(=成長)がきっちりと描かれている。自立していないのはむしろ登場する数々の男のほうだ。
ところがまードラマのほうが陳腐でならないのは、「女の自立」がすっぽり欠落しているためだろう。真帆が新しい仕事場で若い男の弟子たちに挨拶をすると、「真帆さんは独身ですか? やったー!」などと言われる。仕事場でそんなこと言われたら、死ぬほど面倒くさいはずだ。婿探しに仕事してんじゃないんだから。
そのうえ、妹・澪の息子が死んだときには、真帆は仕事を放り出して彼女の手伝いをしに行く。淋しくも長い修行を続けてきた女が、あっさりと仕事を放る神経がわからない。ドラマでは「仕事よりも家族愛」が正義のようである。これは対象が主婦だからなのか、制作者の男たちが女をこういう生き物だと思っているのか。ディテールを変えれば変えるほど、話が陳腐になっていくようだ。それだけ、原作はよく練られていると思う。というわけで、つづきは次回以降に。
<つづく>