夢見る王子様アンソニーがとっとといなくなり、その後台頭してくる、テリュース・G・グランチェスター(テリィ)。『キャンディ・キャンディ』には、ステア、アーチー、アルバートさんと、あれこれ選び放題な男性キャラが出てくるのだが、圧倒的多数の少女のハートをつかんだのは、このテリィだっただろう。
『キャンディ・キャンディ』は序盤、孤児院ポニーの家での生活の後、ラガン家に引き取られてニールやイライザにいじめられ、アーチー、ステア、アンソニーの3貴公子にチヤホヤされるという、飴とムチ方式で話が進む。その後アンソニーが死ぬと、舞台は寄宿学校へと移り、テリィが登場。ここでキャンディは、めいっぱいテリィと青春を謳歌する。
子どものころ、私はなんとなく「テリィかっこいい」とか言ってたものの、実は理由はよくわかっておらず、テリィは「怖い人」という印象だった。なぜなら、キャンディが楽しそうに話をしている最中、なぜだか急にテリィが怒り出すシーンがあるのだ。その理由がわからなくて、びっくりした。怒られた理由がわからないことほど、怖いことはない(まー、子どものころなんか、そんなことだらけだけどさ)。
だけれども、今回読み返してみてわかった。テリィが怒った理由は、至極カンタン。単にキャンディがアンソニー、アンソニー言うからだ。要はテリィは焼き餅焼いたのだ。そして焼き餅で頭ん中がぱんぱんになったテリィは、「お前の心の中から、アンソニーを追い出してやる!」と言って、キャンディを無理矢理に馬小屋へ連れて行く。「やめてやめて」と叫ぶキャンディ。
体育倉庫やら馬小屋とくれば、次のパターンはお決まりじゃないか。さすが不良のテリィ、力ずくでテゴメなのか、そしてそれはお転婆キャンディの年貢の納め時なのかーーー!? と思いきや、テリィはキャンディを無理矢理自分じゃなくて馬に乗せ(さらりとオヤジギャグ)、草原を走る。キャンディの、馬=落馬というイメージを払拭しようとしたわけだ。ここで押し倒される方向に話が進まないのは、昔の少女漫画だからか、そう妄想するのは私が『覇王愛人』だのエロレディース漫画だのを読み過ぎたのか(やれやれ)。どちらにしても、このシーン、子どものころにも負けずにドキドキしました。つまり女の萌えは、「情熱・愛情ゆえの行為」という「理由」が重要なのであり、シモ的行為そのものではないのである。
しかも、元気で明るく、行動力のあるキャンディはおいしいとこももっていってくれる。出生が少々複雑で家庭の愛に飢えているテリィ。少女漫画で大人気のアンニュイ男は、キャンディのお節介で一気に悩み解決しちゃうんである。少女漫画には、本当にアンニュイな男がよくよく登場する。理由はカンタンだ。アンニュイな理由を女である自分が解決してやれたら、自分はそいつにとってかけがえのない女になれるから。どうにも女は「男は浮気をするもの」と深層では思っているらしい。男が女に一途になるには、女に対するでっかい恩が必要だということなのだ。「ありがとう、僕は君のおかげで気持ちが楽になったよ」とかなんとか男に言わせれば、ほかの女にはなびくまい、ああ安心。
そして、人は誰でも、他人への影響力が欲しいと思っている。それこそが、一番手っ取り早い自分の存在意義になるからだ。音楽や映画、文章で人を感動させたいなんてのもそのひとつ。そして小さいけれども達成感があるのが、「傷ついた男を立ち直させる」だ。アンニュイな男が少女漫画に頻出するのは、それを癒して、主人公を持ち上げるツールにするためなのだ。そんな理由でトラウマを抱えさせられた男子キャラって、なんかかわいそうだが。
かくして、テリィのアンニュイを取り払ってやったキャンディは、まんまと彼の心にどっしりと居座ることができ、遠く離れても、ライバル・スザナが現れても、テリィの心はびくともしなかった。
こうして、ヲトメたちは思うのだ。「ああ、いいなあ、テリィのような男の人が現れないかしら」とな。
<つづく>