知り合いの男の人の中には、ホモもののお話に関して、毛虫のように嫌悪感を示す人がいます。なんでですかね? 「俺のケツは堅いんだ」みたいな「男らしさ」を主張したいのか、なんかそんなこだわりを感じますが。私は女なので、レズものが好きかと聞かれたら、好きじゃないけど、そこまでおぞましくはない。「そういうのが好きな人もいるのね」って感じ。
そこら辺がまた男女の違いだなあと思うわけだが、少女漫画には、ホモの出てくる作品が結構ある。これも男が「少女漫画なんて!」と非難する理由のひとつだろうか。まあ少女漫画における同性愛については、いずれ採り上げるであろう『風と木の歌』で詳しく述べるが、一般的に少女たちは純粋に「ホモが好き」とか「ホモの男を見るのがたまらなくてハァハァ」というのではないのだ。
女性の社会進出がまだまだなされなかった時代に、主人公の女を活発に動かしたかったがためにオスカル様を男装の麗人にしなければならなかった『ベルサイユのばら』のように(しかも作者の池田理代子、次回作の『オルフェウスの窓』でも主人公が男装の麗人なんだから、彼女の傷は深いっていうか)、恋愛模様の中に女を絡ませない、なにがしか理由があるんである。
そしてこの『日出処の天子』、主人公の厩戸王子、唇はベタ塗り(つまり赤い)で、女装して舞まで舞っちゃう、見た目だけなら完璧女性。好きな人は蘇我毛人だ。とはいっても実は厩戸は、「女嫌い」で「毛人が好き」というだけであって、厳密にはホモじゃありません。じゃあ、なんでそんなことになってるかというと、彼は生まれ持った不思議な力(要はエスパーなんですが)のために、産みの母親にメチャクチャ嫌われているのだ。そのために女性不信となり、作為もなく純粋に厩戸を構う毛人に惚れてしまう。まあ「すりこみ」みたいなもんだ。
「女嫌いの男」……これに萌える女は少なくはないと思う。例えば女嫌いの男が、女を嫌いな理由を「すぐ泣く」「こびを売る」「すぐわめく」からだ、などと言ったとしよう。すると「私はそうじゃないから!」と信じて名乗りをあげる女は必ずいる。なぜならそこで、もしその女嫌いに好かれたとするなら、自分は「絶対にほかの女に浮気されないオンリーワンの特別な女」になれるからだ。普通の男に好かれた以上の「特別感」がある。
そのうえ、厩戸は「母に忌み嫌われた」という暗い現実があり、非常にアンニュイなんである。ここでも女たちは、ムラムラと母性本能を湧き起こし、「私だったら彼を傷つけないのに!」と奮起する。
子供の頃から神童と言われ、「大人になったらただの人」が多い現実とは違い、ずば抜けた才知で飛鳥時代の日本を操っていく厩戸。学園もので言う影の生徒会長みたいなもんで、女はこういう「できる男」が好きだ。しかし一方で、とてももろくてアンニュイで、身内には優しく(「冷酷」だなんて言われてる登場人物で、ホントに冷酷なのなんか滅多にいないが)、不安定。厩戸の欲するものは「純粋に自分を愛してくれる者」で、これを読んでる女たちは「私だったらそれができる!」と、不完全であるが故に厩戸に惚れるんである。
まあぶっちゃけ、異形のような顔になったり、なにやら難しいことを考えながら自慰行為をしたり(よくできますな)、メチャクチャ嫉妬深くて醜態をさらしたりするにもかかわらず、ものすごく魅力的な人間に描かれている。これってすごい筆力じゃないか。
ところで、職場やなんかで(合コンじゃダメだぞ、嘘っぽいから)「俺さ、ちょっと女嫌いなんだよね。昔、女性にひどい目にあったことがあって……」とか言ったら、ズキュンとくる女がいそうな気がするな(ついでに「俺、なんでこんなこと君に話してるんだろう」とか付け加えたら完璧だ!)。
<つづく>