女はバカが多い。なんでかというと、「頭のいい人間」なんてものは、世の中のせいぜい数%しかいないからだ。よって、別に男に頭がいい人がいっぱいかというとそういうことはなく、女と同様に男もバカが多い。要は人類みなバカ揃いなのである。悲しいことに学歴の善し悪しは頭の良さとは別物だしなあ。

でも残念ながら、多くの人は「自分は人より頭がいい」と思いたいし、「あいつはバカだ」と言いたいし、「あいつより俺のほうが優れてる」と主張したい。なんでそんなことがわかるかというと、少女漫画に出てくる脇役がバカなことが多いからだ。

『ビオランテ』に登場するキャシィは、目頭が熱くなるほど頭の悪い女である。エルシーが自宅を焼かれ、キャシィの父さんがエルシーを引き取ってきたことから、キャシィのバカっぷりが発揮され始める。小さなころからエルシーに対し、ちんけな意地悪を繰り返すのだ。

夜ごはんをいただくお祈りの最中、キャシィはエルシーの皿の肉を床にはじき落とす。そして「(エルシーが)食べたくないって…床に」などとウソの代弁。それを聞いたキャシィの母親は、夜飯抜きだなどとエルシーを叱るのだが、こんなわかりやすい嫌がらせに気付かないとは、ちょっと母親、バカすぎないか。この子にしてこの親ありだ。

で、エルシーの父親を殺したクランベリー公は、エルシーが生きていることを知って、執拗に殺そうと付け狙ってくる。おかげでキャシィの両親は死んでしまい、キャシィは「エルシーさえ来なければ」と恨みを募らせる。

で、どうするかというと、「私の両親が死んだのは、エルシーのせいよ!」とか言って、なんとクランベリー公に加担してエルシーの命を狙い始めるのである。おーいちょっと待て。そもそもはクランベリー公が殺戮の発端なのだ。そいつと共謀してどうする。

だいたい脇役のバカ女というのは、状況が見えなくて浅はか。浅はかだから考えもコロコロ変わる。最後、キャシィは突然、エルシーに感謝の念が吹き出してきて、いい子になった途端にあっさりとお亡くなりに。

あっさりと言えばこの物語は結構、最後があっさりしていることも特徴である。途中までヒーロー扱いだったフレデリックは、別れのシーンも描かれずあっさり登場しなくなる(これまたエルシーのせいで父親が死んだので、跡を継ぐために海に出たのだそうだ)。自分の父親が悪者だと知った息子のフレデリックが父親を裏切るのも葛藤もなくあっさり。エルシーが執拗につけ回したクランベリー公への復讐を果たす瞬間もあっさり。エルシーの妹もあっさり頭がおかしくなっちゃって、とうとう姉妹の名乗りなんかの機会もなし。エルシーはフレデリックと一回やっただけであっさり懐妊。最後もビオランテを海に捨てちゃったりしてあっさり。

一方で、ごはんの描写が結構印象的である。キャシィが床に落とした肉、キャシィがマスターからもらったくんせい肉を足でギュムギュム踏むシーン、質素を象徴するため描かれる数々のジャガイモ。

多くの漫画は、単行本2巻くらいが一番コンパクトに話がまとまっていて面白いな、と思うのだけれど、『ビオランテ』の場合はもう少し巻数が必要だったのかもしれないなあ。

最近は人気漫画の「その後」的漫画がぞろぞろ出てるので、捨てられちゃったビオランテが復活したり、エルシーがその後、妹と再会する話とか、フランシスがもっさい海賊になって戻ってくる話とか、エルシーがビオランテになってゴジラと戦う話とか、やり残した感があるネタを拾って"ビオランテII"をやってもらうのもいいかも。
<『ビオランテ』編 FIN>