吉原由紀の漫画を取り上げようと思っていくつか読んでいるうちに、バカはまりしてしまいました。なんて面白いんだろう。基本的には重厚なテーマの話が好きなので、鬱々とした漫画ばっかり読んでるんだけど、このカラリとおバカな感じは、とても楽しい。いいねえ、余計な心配をしないで、サパっと欲情してセックスできたら。
そしてこの人の描く男性が、すっとしていてかっこいいこと。通常、エロコミックを大量に読んでいるとだんだん気持ちが悪くなってくるんだけど、絵がキレイなことに加えて、エロシーンもヌメヌメしていないし、過剰なサービスシーンはないし、適度なハラハラと適度なワクワクと適度な笑いで、「ああ、恋愛ってのはいいもんだなあ」という気がしてくる。
彼女の作品は、ぜひ男性に読んでいただきたいなあ。それにしても、久しぶりに彼女の作品を追ってみたら、知らない作品がすごいいっぱい出ていたので、しばらく散財しそうである。
で、『はあはあ』。前半は、抜きん出て樹先生の変態っぷりがあれこれ語られる。しかしだんだんとその変態度は聖子のほうに傾いていき、最後のほうは「すごくまっとうな樹先生と、変態聖子の恋愛物語」みたいになる。最初、樹先生が変態だったのは女性慣れしていなくて、少々オカタイ人だったからだということか。イケメンなのにねえ。
男の処女願望っていうのは、確実にある。恐らくこれは、自分の経験が豊かになってくると薄れていくもののような気がするが、どうだろう。要は女がどんなに経験豊富でも、自分がそれに勝っていれば自分の優位が保たれるわけだから。自分のほうがより遊んでいれば、どんな女だっておぼこに見えてくるはずだ。
しかし、女の童貞願望って、どちらかというと女に経験が積まれてきて初めて湧いてくるものである。なぜなら、相手に汚れていない潔癖さを求めるのではなく、普段威張ってる男がモジモジしたりしてかわいらしいとか、慣れてないだけあって一途だとか、酸いも甘いも噛み分けてこそわかる、男の意外性が萌えなのである。
さて『はあはあ』。読んでるだけではあはあしそうなシーンがある。動物園へデートに行って、シマウマの交尾を目撃してしまった二人。どうしようとかあたふたしているのは聖子のほうだ。少女漫画では、大抵こうした気まずかったり不慮のエロハプニングが起こったときに大騒ぎするのは女のほうである。クールな樹先生は、動物の交尾を見たって大丈夫。「生殖は大切な行為です。生殖といえば自分たちも……聖職ですよね」とか軽やかにスルー。聖子をホテルの部屋まで連れてきたくせに、先に進む気配がない。やる気満々なのは自分だけなのか、本当は樹先生は自分を拒絶しているのかと不安になる聖子。
しかし、樹先生はこう言うのだ。「実はすごく緊張してるんです。自分は動物おたくで女性を楽しませることに疎くて、柴田先生(聖子)とつり合わんなと……好きでたまらない女性に一日中見つめられて、緊張します。苦しいです」。
頭から湯気が出そうなくらい、愛らしいセリフである。これは殺し文句だ。女をリードしようとして下手をこくくらいなら、素直に言ってしまうとよい。
ただし、この弱音本気トークを許してあげられるのは、ある程度年季のいった女だけと思われる。まだ若くて、男に対する期待が高い女に言っても「男の人にそんなこと言ってほしくないよねー」で終わりかも。
逆にいえば、こう言って許してくれたり、萌えてくれる女は、男に対して金とか名誉とかを求めない場合が多そうなので、そういういい子を捕まえたかったら、やってみるとよい手である。
<『はあはあ』編 FIN>