何年か前、メーカーの研究所勤務の男性たちと遊んでいたことがある。だいたい郊外の工場だの研究所だのにはテニスコートが備わってるもので、そこにわざわざテニスをしに行ってたのだ。外部の私は敷地に入るのに受付が必要なので、毎回正門まで誰かに迎えに来てもらって、受付していた。
しかし、あまりの頻度で私が出入りをするものだから、そのうち警備の人に「わざわざ名前書かなくていいです」と言われるようになった。こうして正門には、お迎えの人に来てもらうだけで、手続きがいらなくなった。
そのうち正門はコートから遠いので、裏門から入ろうということになり、裏門に迎えに来てもらうようになった。そして最後にはとうとう顔パスになっちゃって、誰にも迎えに来てもらうことなく、「お疲れ様でーす」とか言って一人で社員証もないのに堂々と中に入れるようになった。
けれど残念なことに、警備員と心を通わせる(?)ようになったのと反比例して、今度は男性陣と折り合いが悪くなってしまった。人はなぜ言葉を持って人と話をするかと言えば、お互いに理解を深めるためである。向こうがどう思ってたのかは知らないけど、どうがんばっても相互理解ができそうになく、事態が好転しそうもなかったので、顔パス入場テニスには行かなくなった。
前置きが長くなったけど、この件で思うことは、結局彼らは私という人間をまったくかけらも理解することがなかったんだなということなのだ。男が考える「気の強い女」「元気な女」って、ものすごくステレオタイプなんだよ。彼らにもよく、私が絶対口にしないようなことを「お前ならそう言うはずだ」と断定されたものである。どこかの少年漫画のイメージで私をカテゴライズしないでくれよ。だけども仕方がない、女を理解できない、これが男というものなのだ。
昔の少女漫画に登場する男どもは、それはそれは完璧なのばっかりだった。女を深く理解し、許容し、導いてくれた。それは何故なのか。やつらが主人公よりも年上だからだ。経験豊富な彼らは、主人公よりも人間としてできあがっていなければ、女は彼らを許すことができないのだ。女が男に望むことは、自分への理解と許容なのだから。
『名探偵保健室のオバさん』に登場する、オバさんの使いっぱ神宮司はダメな男だ。女を外見で判断し、それはそれはよく女に騙される。活発な明るい女の、不器用な恋心なんかには当然気がつかない。通常、少女漫画では、こういう女を見る目がない男は悪者である。なんでかって、そんなものはリアルだけで女はお腹いっぱいだからだ。
でも、神宮司は悪者ではない。なぜか。神宮司が年下だからだ。一回りも年が違えば、知恵も能力も、当然オバさんのほうが高い。神宮司は、なんだかんだ影でオバさんの文句を言いつつも、彼女に敬意を持っていることがよくわかるのだ。だから読者は、神宮司の見たくもない浅はかさを許してあげることができる。「こんな風に慕ってくれたら、多少デキが悪くても、まあいいか」と。
オバさんの境遇は、女の憧れだ。こんなにカワイイ男子学生をいいように使ってみたい。だけどかわいそうなことに読者は神宮司には萌えないのである。お菓子は美味しいけど食事は違うものを食う、みたいな。そういうところが男性から非難を浴びる原因なのか、このテの設定は男性たちから非常にウケがよろしくない。
逆に、男が女をいいように使うという話があったらどうか。まー聞いただけで女は嫌悪するな。どんな中身が想像できるかというと、飯を作らされるなんていうのは軽いほうで、金を引っ張られる、セックスを強要されるなど、なんだかダークなのしか思い浮かばない。多分に男のほうが圧倒的に力関係や性欲において勝っていることで、男が女を使いっぱにするのと、女が男を使いっぱにするのとでは、考え得る設定の意味合いが、まったく異なるのである。
もしかしたら男性たちが女性上位の話を嫌悪するのは、女より上に立ちたい支配欲・プライドの問題だけじゃなくて、男が女を支配するときのシビアな関係を想像してしまうからなのでしょうか。
女が男を使いっぱにする話・設定といっても、せいぜいがかわいいもんだ。荷物持ってよ、話を聞いてよ、一緒についてきてよ程度の話。もちろんセックスなんか強要しません。そのくらい、寛大な心で許してやってちょうだいな。
<『名探偵保健室のオバさん』編 FIN>