とある打ち合わせで、「乙女心」についての企画を立てようというので、男性スタッフとあれこれ話し合っていた。そこで聞いた話。「男にとってキスは、セックスまでの単なる通過点であって、それが最終的にしたいことじゃない」だとか。うむ、そうだろうなとは思っていても、実際に聞くと少々衝撃だ。女にとってはキスがデザートでも、男にとっては食前酒だってことか。キスで終わるということは、男にとっては食前酒だけでお腹は空いたまま、メインもサーブされない怒り心頭な状況というわけ? 男と女の溝は深い。

『好きしか知らない』という純愛漫画がある。古き良き時代の少女漫画だ。少女漫画でセックスの描写がまだ許されていなかったころ(もともとマーガレット系の漫画は性的描写が少ないのだが)、主人公の女子がクラスメイトの男子と家庭教師の先生との間で揺れてみたり、焼き餅焼いたりする話である。性的描写が描けないということはどういうことか。男子がみんなうすのろな感じなのである。

高校生の菜子は、小学生のころ好きだった男子、悠(はるか)とクラスメイトとして再会する。と同時に家庭教師の聖美(きよみ)先生がやってくることになった。以上のセッティングで、聖美先生が菜子に片思い、最終的には悠とくっつく、という簡単な想像ができる。少年漫画の悪者が、登場するやいなや悪者だってわかるのと同じ感じである。

それにしても聖美先生、結構さっさと菜子に告白し、付き合うことになっている。薄汚れた現代からするともういかがわしくてたまらないシチュエーションだが、聖美先生はうすのろなので大丈夫である。何しろ、銭湯の番台をやったりするのだ。番台ってそんな最近まであったのか。盗撮だのなんだのが横行している現代からしたら、(男子)大学生が番台に登るなどとは、危険極まりない状況である。しかも、番台のバイト代よりもよっぽど稼げる副業ができそうだ。

悠も菜子を好きなことは、読んでいればまあわかるのだが、こいつもなにしろ古き良き時代のキャラなので、うすのろである。で、この聖美先生と悠といううすのろコンビの会話が、もううすのろなのだ。聖美先生は、夏休みに菜子を誘って旅行に行くことにする。ちょっとかわいいホテルに二泊だ……やる気だな、お前。で、悠の家庭教師もしている聖美先生、うっかりその話を悠に漏らしてしまう。「先生、菜子と旅行に行くんですか?」と聞く悠。次の正しい台詞は「じゃあ、とうとう菜子とやるんっすね!」とかだろ、健全な男子の発言としては。

ところがこの人たち、やるとかやらないとかそんな話は一切出ず、「内緒にしていてくれよ」とか言っちゃって、大して盛り上がりもしない。この辺がものすごくうすのろな感じである。男ふたり集まって、女とセックスの話をしないでどうするよ。

しかもですよ、22歳のおさかんな年齢の男子としては、女子高生を連れて旅行なんか行くなんて、もー夜が待ち切れん状態だろ。相手のことなんかお構いなしで突っ走るに違いない。しかし聖美先生はとてもうすのろなので、ホテルに着いてから「君は僕といても僕のことを見ていない」とか言い出して、「僕は部屋にいるから、君の気持ちが固まったらキーを持って入ってきて」などと呑気なことを言うのだ。もちろん古き良き時代の少女漫画としては、大して好きでもない相手とするわけがなく、菜子はそのまま電車で(!)自宅へ戻り、聖美先生はお部屋で待ちぼうけ。聖美先生の体調が非常に心配な展開になるのである。

それにしても聖美先生、いったい何者なのか。埴輪大という、名前だけだとイマイチ勉強のできなさそうな大学の法学部4年らしい。わかっているのはこれだけ。勉強を教えているという設定にもかかわらず、こいつが何を専攻してて、ゼミで何をやってて、将来何になりたいのか全く不明なのである。大事なのは「家庭教師」という肩書きであって、中身ではないのだ。少女漫画での学問の扱いって、ホントこの程度なのである。
<つづく>