少女漫画の世界では、恋愛はロマンチックで非論理的。"Loving you is easy cause you are beautiful"ってな感じ。BON JOVI的に言えば「僕ときみとが愛し合うことは神様が決めたことだ」くらいな。ドキドキキュンキュンするのは、天から降ってきたドラマである。
しかし現実は、いとも簡単に恋愛感情を仕掛けることができる、ロジカルな世界であるらしい。何年か前に、恋愛専門の探偵社に勤める女の子と話をしたことがあった。そこでは、いわゆる「別れさせ屋」というサービスをやっていて、愛人を持つ夫に新しい恋を仕掛けて、それを失わせ、自分の元に戻ってこさせたりというシナリオを簡単に作成でき、そして簡単に実行し、結果を得ることができるんだそうな。セオリーが確立しているからこそ、それが商売になる。
で、その女の子に「結婚願望はある?」と聞いたら、「もーう、お腹いっぱい……」だそうだ。恋愛や結婚に対する夢や希望はすっかりなくなり、愛はいつか冷め、人は簡単に人を裏切り、裏切られれば泣きわめくということを、毎日毎日見聞きさせられて、ウンザリなのだとか。おまけに恋愛というのは、決められたセオリーどおりのシナリオを立てれば、作為的に仕立て上げられるというのだから、もうなにに夢を見ればいいのやら。
ここ近年、『さくらん』(安野モヨコ)、『花宵道中』(宮木あや子)、『吉原手引草』(松井今朝子)など、女性作家の描く遊郭話がヒットを飛ばしている。これらの本を読んで大いに刺激され、男性著者の書いた遊郭本をいくつか読んだが、ものすごくシステマチックにものが書かれている感じがする。「遊郭はこんなところでしたー」「女の人たちはこーんな風に働いてましたー」という感じ。でも女が書くものには、胸をギュッと握られるような、怒り、切なさ、苦しさが詰まっているように思う。『サンダカン八番商館』(山崎朋子)に漂う重苦しさは、作者が女性だからか。
『大奥』では、男女逆転であるので、遊郭にいるのは男だ。女は、子種をもらうために遊郭に金を払う。女が遊郭に隔離されている場合は、そこは完全に娯楽の場だったのだけれど、女には掃いて捨てたい性欲はないので、そこに行くとしたらもっと物理的な理由、「子種をもらうため」ということになるらしい。
そこで、大奥から追い出された男たちが、揃って遊郭に送られるというシーンがある。一時は将軍の愛人になれるかもしれないという、栄誉のチャンスが与えられる立場にいた男たちだ。贅を尽くした住まいや食事、衣類に囲まれて暮らしていたというのに、一変して場末の長屋に送り込まれ、日々体を売らなければならなくなった。大変だ。ああかわいそう……。
とは全然思わなかった。割とあっさり描かれていたこともあるけれど、「へーえ」くらいの感想だ。むしろ「放っておいたって、毎日違う女としたい男だっているんだから、いいんじゃないの? いくらやったって孕む危険があるわけでもないし」くらい。
将軍の初めての男になる相手は、「ご内証の方」と呼ばれ、死罪になるという。大体、女の初体験なんて面白い思いをするもんじゃないし、ご内証の方を殺すからといって特に「ひっどーい!」なんて感情もわかない。そうした制度ができた理由も、読めばなるほど天晴れと思う。まあ、やったら死ぬとわかっていて、でも立たなくてもやっぱりだめという緊張感のある状況でやんなきゃいけないというのは、大変そうだなと思うけれども。
自分でも意外なくらい、性に関して男に感情移入しないようである。女が自分の性を考えるとき、山ほど物思うことはあるのに、男の性に関してはこのとおり、なんにも思わないのだ。そういえばEDとかも全然ピンと来ないもんな。
今まで、痴漢にあったときの悔しさ、おぞましさ、腹立たしさを理解しない男どもに激しく腹が立ったりしたけど、なんのことはない、異性の性に関しては無関心、というのがもしかしたら世の道理なのかもしれないな。これじゃあ、男女のいさかいがなくならないわけだよ。
<『大奥』編 FIN>