さて、今回この『目を閉じて抱いて』を採り上げるのに久々に読み返してみたら、記憶以上にいやらしかったので、取り上げても大丈夫かなあと思い、担当編集にちょっと聞いてみたら「なにをいまさら」的な返事でした。そうですか、そういう連載でしたかこれは。

で、今回は『目を閉じて抱いて』の主人公(多分)の周くんについて。彼は、この作品の中では、できる人でもダメな人でもなく、中くらいの人。適度に気が利いて優しいけれど、強くない。「ああ、いそうだよな、こういう男って」という感じである。まず周は、なんとなく樹里と付き合っていたらしい。彼女が「あたしたち結婚するんだよね?」と半ば洗脳のように繰り返すので、「まあそれならいいか」と思っていた。

だけど、花房の寛容さと優しさに触れて、自分がどれだけ我慢をしていたか気づいてしまう。ひとつは、樹里の「自分と周は絶対に別れることはない」という安心感からくる甘え。大抵の男女の「別れ」は、「安心感」からやってくる。男でも女でも「この人は私から離れることはないだろう」と思うと、大事にしなくなるし新鮮味もなくなるし、わがままになる。樹里は自分のことを棚に上げて、「周くん、最近セックスで手を抜いてない?」などと言う。じゃあ、自分は努力をしてるのかっつうの。「やってもらって当たり前」になっているのだ。

どんなに長く付き合っている男女でも(男女じゃなくても人間関係すべてにおいて)、危機感は大事だ。「いつこの人は自分を嫌いになるかわからない」という気持ちは、ちょっぴり持っておくべきなのだ。そうして、自分から離れてほしくない人に対しては、尊重して大切にして、もてなすべきなのだ。じゃなかったら、いつ、相手に「もっと自分を大事にしてくれる人」が現れて、心を奪われてしまうかわからない。「相手が自分から離れない」と思うのは傲慢なのだ。人には、努力をしなければ自分の価値なんか生まれないのだから。

ボーナスが出れば「貯金してくれてるんでしょ?」、忙しいと言えば「結婚資金のために残業してくれてるの?」と期待する樹里に疲れ果ててしまった周。「なんで男だけがすべての責任を負わされなきゃなんないの!? だからみんな女は弱いふりしてるんだよ!! そっちのほうが楽だもの……でもこっちはそんなに何もかもしょいこめないよ! 自分のことでももてあましてるのに……人の世話まで…僕にはそんな力はない! それが男らしくないっていうんなら、ぼくはもともと男らしくないんだ」と言う。真面目に考えれば当然だ。人の世話して気遣って、おんぶにだっこされて「もっと来い」なんて言う人は、なにかに目をつぶってるか鈍感な人だよ。人生なんて、大変なことだらけなのに。

すべてを受け入れて理解してくれる花房に、すっかり周はのめりこむ。そうなると、花房がほかの人と関係を持つのが許せない。花房が津也子と一緒にいるところに押しかけた周は、「どうしてそんなことができるの? 僕のことが好きだなんてウソだ!」と叫ぶ。すると「周にだって…出来るでしょ?」と、周が樹里と寝たことを指摘する。

周は、花房さんの身体が本当に女なのか、その感触を確かめるために、女である樹里と比べて試したことがある。もちろん、樹里に「あたしと寝れば、花房さんのことがわかるのよ」とかなんとか言われて、挑発されたこともある。でも「あれは、樹里に騙されて……」と周は言い訳するのだ。

ああ、男ってこうなんだろうな。自分と同じことを女がやっても、自分と同等に評価をしないのだ。ことセックスに関してはそうだろう。いや、弱い人間は誰でもそうか。自分は特別に人から許されると思っているものだもの。自分のことには、いくらでも言い訳をつけてあげられるものだから。

そう言われたときの花房さんの対応が感慨深い。読者からめっぽう人気が高かったであろう花房さんであるが、おそらくこの台詞にすべてが隠されているのだろう……とか引っ張っておいて、続きは次週。
<つづく>