先日、20代の男性二人とラーメン屋に行ったときのこと。そのラーメン屋は店員3名がすべて女性という、店のコンセプトだだ漏れの店で、店員さんは「顔採用だな」という感じ。おまけになぜかカウンターには丸ごとメロンが乗っている。メロンを見た男性のひとりは、「ああ、メロン美味そうだな」と、まあ普通の感想を述べた。するともう一人の男性が、「なんのメロン?」と驚いて返事をしたのだ。彼の視線は、とある店員に注がれている。その店員は、ビックリするほどのボインだったのである。
「ボインだなあ」「ボインだなあ」と思っているところに、「メロン美味そう」と言われたので、思わず「なんのッ!?」となっちゃったらしい。バカだろう、お前。で、言われたほうも、すぐに察して「こいつ……」と思ったそうだが、言ったほうも「お前、そんな話、店を出てからにしろよ」と思っていたという。私としては勝手に「メロンじゃなくて、巨峰でもよかったんじゃないか」とか思ってるのだが、どうだろう。
そういうバカなやりとりがあったことを、店を出た後にわざわざ教えてくれたのだが、ホトホト男性のエロ思考が伺える話である。なんというかこの歳になると、そういうもんだと思っているから、ただの笑い話だけど、こういう話を若いころに聞いたら、「いや~ン最低!」とか思ったかもしれない。
自分の中身を無視して、外側の身体だけにサカられるのは大抵、女にとって迷惑なことになるので面白くない。だから、エロからほど遠いアイドルを好きになったり、自分が絡まないボーイズラブを好きになったり、初恋の人が忘れられなかったりするのだ。
『なんて素敵にジャパネスク』の瑠璃は、「吉野の君」が忘れられないひとりだ。子どものころ、吉野の里に預けられていた瑠璃は、そこで美しい少年と出会う。名前を知らないその少年ことを、吉野の君と呼び、毎日毎日野山を駆け回り、ただ無邪気に遊んだ。とまあ、この美しい思い出のおかげで、瑠璃は16歳にもなって結婚はイヤだと言っていたわけだ。
瑠璃は、母親が亡くなって1年もしないうちに後添えをもらった父親に失望している。その上、現在の母も父親の女遊びには泣かされているという。「男」というものに失望し、そして「初恋の吉野の君だけは違う」と信じている。幼くして亡くなってしまった吉野の君を、すっかり理想化しているのだ。
それに茶々を入れるのが高彬だ。「男の遊び好きは当然なんて言う子どもがいたら、不気味でしょう」と釘を刺す。そりゃそうだよな。しかしこういうシーンを読むと思い出すのが、『マリーベル』だ。幼なじみで身分違いのロベールを想い続けるマリーベルは、彼にそっくりなジュリアンという若者と同棲を始める。一緒に住んでるんだから、当たり前っちゃあ当たり前だが、ジュリアンがマリーベルを押し倒すと、「ロベールならこんなコトしないっ!」などと言って泣き叫ぶのである。そりゃ、ロベールならしないだろうよ、別れたときにはまだ14とかだったんだし。
少女漫画には、しばしば「初恋の人が忘れられない」という女が登場する。もちろん初恋だからプラトニックだ。けっして、目の前のメロンとボインを混同するような思考を望んではいないのである。しかし、残念ながら現実はそんなもんで、女は少なからずそれに失望したり、イヤな思いをしたりしながら、気持ちの折り合いをつけていく。
90年代初頭、「男に失望したから結婚はしない」と言い切るのには、まだ時代が早い。経済力のある女性は、ごく少数だったからだ。だけど現在、「結婚したい」と言いながら、未婚の女が増えているのは、少なからず経済力という意味では折り合いをつけなくてもいいか、と思ってしまうからだろう。男と女の間の谷は、本当に深くて暗い、と思う。
<つづく>