ドラマ『大奥』が面白くて、一時はまっていたことがある。女のドロドロした底の浅いシーンはいくつかあったものの、史実をチョイチョイ入れ込んでみたりするところとか、女のツボをメリっと押す展開があるところ。でも、ストーリーと関係のないところで、「ええなあ」と思ったことがある。衣装だ。
大奥は、衣装に金をかけてることも有名らしいけど、しっとりと重い質感が伝わる着物の数々は、「ああ、正絹なんだな」って感じであった。着付けをしてるとわかるけれど、正絹ってホントに重みがあって、肌に馴染むのだ。テレビだからって、やっぱり見ればわかるんであるよ。
京都の三大祭りのひとつ、源氏物語にも登場した葵祭を見に行ったとき、激しく落胆した。セットが安っちいのである。ポリエステル大活躍といった感じで、行列を飾る花や衣装が、ペラペラと舞っているのだ。正直、伝統行事という重厚さを自分は全然感じなかった。車争いも始まらないしさ。大喜びしてるのは外国人だけって感じだし。
質感を含め、デザインのクオリティって、女にとって非常に重要である。女がお姫様好きなのは、間違いなく衣装が好きだからだ。女がお嫁さんに憧れるのは、間違いなくウェディングドレスが着たいからだ。キレイなおべべは、女のツボのひとつなんである。
『シュガシュガルーン』を読んでいて感じるのは、この衣装のセンスの良さ。ピエールなんか、フワフワの白シャツを胸全開にして酒っぽいもの飲んじゃったりして、とても中学生とは思えないなまめかしさである。魔界の人たちも、魔界だからと言って「大丈夫か、その服は」というおかしなものは着ていない。どころか、「売っていたら買うな」くらい思う。
そういえば、『はいからさんが通る』も、紅緒は物語を通して何着着てるだとか(確か140いくつだったような)というのが話題になるくらいだ。デザインも、今見ても割とかわいいのが多くて、きちんと調べて描いていたんだな、というのがわかる。人気漫画家の後書きなんかを読むと、ファッション誌をチェックしているらしいので、女にとってはやはり重要課題なのである。『デザイナー』とか『ファンション・ファデ』とか、デザイナーそのものを取り上げた漫画も多いし。
漫画の絵の質を量るとき、デッサン力はもちろんだけど、私が「センス」を感じるのは、「髪」である。古参の漫画家は、髪をキレイに描くことができないと、第一戦から消えているように思う。昔よりだんぜん線は細かく、リアルになっているからさ。やっぱり髪の束感がキレイだと、読んでて楽しいよ。
それから「服のシワ」。カッコイイ絵は、服のシワがカッコイイ。Tシャツひとつでも、シワがいい。シワがきちんとしてない(?)と、とってもオタクっぽい感じがするのだ。服や小物のセンスは、『シュガシュガルーン』は天下一品。魔女アンブルがショコラに貸してくれた服は、「新品じゃないけどよく手入れされた服とブーツ。パジャマも着心地よかった」そうだ。古着が好きじゃない私でも、「おお、それは着てみたい」と思う。ユニクロのジーンズを履いてる私にはわからんが、「デニムを育てる」人の気持ちってこんな?
少女漫画の基本は、恋愛要素と主人公の成長だけど、それを彩る手段として、衣装やらヘアスタイルが重要なのである。『シュガシュガルーン』の単行本にも、「ショコラのファッション」なんていう特集ページがある。こういうのを読んで育つから、女はおしゃれ好きになるのか、それとももともと本能の中にお洒落細胞を持っているから、こういうものが作られるのか。
少女漫画には、少年漫画ほど、重厚な知識提供やら構成は必要ない(場合が多い)けど、その代わり、心の機微やファッションセンスに関しては、だんぜん小うるさいのである。
<『シュガシュガルーン』編 FIN>