この前、筆者の敬愛する方が、こんなことを言っていた。「イヤなことや辛いことがあっても、人に愚痴ったり文句を言ったりしないんだ。そういうパワーは、それを克服したり、自分を伸ばすことに使った方がいい。ひとつの物から生まれるパワーの量は決まってるのだから」。
がーん。確かにそうだ。グチグチつまらないことを言う人で、キラキラ輝いて進歩している人というのを見たことがない。「ひとつの物事から生まれるパワーの量」とか言うあたりは非常に理系の人って感じだけど、彼はものすごく上向いている人で、まあ金も儲けてるわけですよ。自分もつまらないことは口にするまい、と心に決めたのだった。決めただけだけど。
さて、90年代からこっち、働く女性の漫画が量産されるようになった。その大半が、「仕事は大変だよ」という話だ。『少女漫画』や『きみはペット』『Real Clothes』でも、みんな仕事はすごく大変そうだ。もちろん、「仕事が大変」という状況こそ、女が社会進出した証でもあるわけだけども。昔は「大変な仕事」なんて、女には一般的じゃなかったんだからさ。夜10時以降は残業しちゃいけない、なんて法律もあったわけだし。
そんななかでバリバリ働いているのに、なんだか楽しそうな女の話が『ライン』だ。主人公のリツコは、ブティックの経営者。ひょんなきっかけで、貧乏大学生の邦彦と付き合うことになる。作者の西村しのぶは、昨今の年下男ブームのパイオニア的存在だけど、こーんなお付き合いだったら、さぞかし楽しいだろうよ! という話を、これでもか、これでもかと放出してくれる。年下ブームがやってくるわけだ。
ところで、年下男が恋愛対象になったのは、女が社会的地位を得て、金を持つようになった時期と一致する。バブルでおっさんたちの懐にブクブク金が余っていたころには不倫ブームだったし、金と男女の恋愛模様というのは深い関係にあるのだ。
一方で少女漫画には、金持ちと貧乏が常に同居している場合が多い。貧乏色を一切排除しているのが名賀智子で、これは結構レアだと思われる。『ロリィの青春』や『花より男子』では貧乏人の主人公と金持ちの男たちという構図、大貴族の話の『ベルサイユのばら』だって、貧乏人ロザリーが登場する。金持ち=憧れ・夢、貧乏人=自分という構図で、貧乏人は読者の共感を得るためのツールである。そのため、主人公はどこかしらで貧乏と金持ちの両方に触れる必要がある。
主人公が金持ちなのは『生徒諸君!』と、この『ライン』だけど、このふたつは少々「金持ちの仕組み」が違う。『生徒諸君!』のナッキーは、自らが正義を振りかざすためには、周りに次々と事件が起こらなくてはならず(周りも平穏無事だったら、熱血になる機会がないからね)、彼女の正義感を後押しするために、彼女自身が辛い体験をしている必要があった。ナッキーの家が大金持ちなのは、その辛い体験に対するご褒美的設定なのである(同じ作者の『Let's豪徳寺』も大金持ちの話なので、金持ちの話が得意だとも言えるが)。ナッキーの実家がド貧乏だったら、なんだかとにかくものすごく辛い話になっていたはずだ。
『ライン』のリツコの場合は、「実家が金持ち」ではなく、自ら勝ち得た財力である。ここら辺が、80年代の漫画と90年代の漫画の違いなのだな。そしてサラリと述べるに留まっているけれど、リツコはいろいろ苦労しているようなので、彼女のご褒美は財力と邦彦と言えそうだ。
ご褒美になるほどいい男ってどんな? もちろん邦彦がまた女のいいツボをついてるので、次回はそんなところを突きつつ。
<つづく>