実は和久井香菜子というのはペンネームだが、これをつけたときには、みんなから「売れないアイドルみたいだ」とか言われたものだった。自分の名前をつける、という機会は滅多にないのでウキウキと考えてみたけど、あとで「食べ物の名前にすれば良かった」とか、「もうちょっと意味の深いのにすれば良かった」とか思ったりして。しかし名は体を表すというか、ペンネームをつけてから、強烈なハーブ好きになったのでした。「香る菜っぱの子」ってことで。

まあ、和久井なんて割と無難な名前で、なんの仕事をしても大丈夫そうだ。別にそんなことまで意識してつけたわけじゃないけど。先日、編集者の方が貸してくれた漫画は「鈴木ジュリエッタ」という人のものだった。……例えば、大学受験の参考書の著者がこの名前だったら、全然売れなそうだ。少女漫画だからこんな名前でもなあ、とは思いつつ、実は全然期待してなかったんだけど、読んでみたら面白かった。漫画としてこなれているかどうかって、テンポが重要だと思うんだけど、笑いのテンポもとても漫画らしいのだ。新しい世代が書いたって感じ。

というわけで今回は、鈴木ジュリエッタの『悪魔とドルチェ』でいきましょう。主人公マユリは、悪魔召還ができる女子高生。ちっちゃなお願い事を、ちっちゃな悪魔たちにやらせて喜んでいたのだが、ある日、悪魔を召還してみると、大悪魔ベルセビュート(通称ビュート)が出てきてビックリするが、そいつを手作り菓子で餌づけする話である。

このマユリは、最近の少女漫画の王道、「友達のいない子」である。昔は、友達なんか当たり前にいるもんで、顔を合わせれば友達になるような話ばっかりだったけれど、最近はとにかく主人公が友達作りに悩む。いかに若者がコミュニケーションに悩んでいるかが伺えて、心配だなあ。

と、この漫画は最近ならではのネタもあるのだが、悪魔だの鬼だのと主人公が仲良くするという、古くからの少女漫画の王道も取り入れている。鬼や悪魔はどちらも人外の力を持っているので、ドラえもん的に役に立つし、人に与えるパワーや支配力は権力主義にも相当する。自分以外の人間には悪さをするけれど、自分には危害を加えないという決まりも(要は、だからそんなに悪者じゃないんだよ)、読者の虚栄心をビシビシ刺激するのである。

そしてこの漫画には、男性にとっての大ヒントがある。晴れて彼氏となったビュートは、全然完璧な男性キャラじゃないのだ。なにしろ悪魔様だから。『悪魔の花嫁』のデイモスも、半裸で街を歩くモラルの欠けたヤツだったもんな。

そして主人公曰く、ビュートは「1時間も遅刻してきて、知らない女についていくし、ビュートが観たい映画を見に行ったのに始まったらすぐ爆睡して、映画館から出た途端に帰りたいとか言う。デリカシーがない。自分勝手よ」。まー確かに、やられたらイライラしそうだ。人が黙って相手の思うとおりにするのは、その意思を尊重しているのであって、必ずしも同意しているとは限らない。その心遣いを気づいてくれよ、と女は思うのだ。

しかし、まったく気遣いの少ないビュートは、それでも少女漫画のヒーローである。それはなぜか。彼はよく反省するのである。一度はマユリとぶつかって、意地を張っても、後で必ずフォローが入る。「お前の観たかった映画を見に行こう」と言い、「仲直りしよう」「たったこれだけのことで笑顔が見られるなら、もっと早くやってやれば良かった」と思う。

誰だって、最初から恋愛上手なわけがないし、相手の願いがわかるわけでもない。手探りの状態で、ぶつかったら、わからなかったら、直せばいいのだ。女は、男のかっこいいところが見たいわけじゃなくて、自分への思いが見たいのである。どんなに足りないヤツでも、一生懸命考えて、自分のことを思ってくれたら、それは嬉しい。悪魔だとか言うことを抜きにしても(そもそもビュートはあまりマユリに力を使ってくれないので)、ビュートは少女漫画のヒーローなのである。

ああ、ちなみにマユリも毎回よく反省してます。少女漫画の基本は主人公の成長なので。別に男性にばかり高い要求をしているわけじゃないのである。
<つづく>