その昔、夜間だけど英語の専門学校に通っていた。毎日3時間、英語ばっかり喋って聞いての生活をしていたときは、頭の中は英文でいっぱいだった。そんなときのことである。付き合っていた男が、筆者にに英語を教えようとしたのは。

彼は海外で生まれ、大学の英文科で英語を極め、TOEICは900点……でもなんでもなく、日本で生まれ育った日本語のみ堪能な男でした。にもかかわらず、英語に関するウンチクを述べたがるのである。もちろん、そんな鬱陶しい話を聞きたいわけがない。こちとら、毎日ニュース聞いたり文章読んだり文法やったり、えらい思いで英語の勉強をしているのだ。どうしてそんな人間相手に、英語で勝負をしようとするのだ!

しかし、こういうのは比較の問題なので、教える相手が素人だったら、くだらないウンチクだろうが、ありがたがって聞くことでしょう。もちろん、努力をしたり結果を出した人間からの指導なら、喜んで聞く。できなければ偉そうにしなければいいだけの話である。いばりたかったら努力をしてくれ。面倒だから。

とまあ、そんな風にしょうがない男に引っかかって苦労した娘の話が、『ロリィの青春』である。ロリィは、子馬のハッピーをいきなり人からもらったことで馬術に目覚め、なんやかんやあって競技に出場することになる。そこでロリィは、自分に馬術を教えてくれたクレオのために、「これが私とクレオの馬術!」とか言って汚らしいフォームで障害を飛びまくる。これが2人の愛の形らしい。

といってもクレオ、馬術のド素人なのである。よくぞこんなんで人に偉そうに競技を教えようなどと思ったよね。恐ろしいことに、クレオが馬術の本を買って勉強を始めたのは、ロリィが地区大会を終えた後なんである。えぇ……! それじゃあ、今までのレッスンはいったい!?

ロリィは、「馬は飾るものじゃない、生きているものなんだ」とか言って自己流馬術で競技に臨むわけだけど、大丈夫か、頭のほうは。自然だなんだというなら、野山を楽しく駆け回ってればいいのである。競技に出る以上、そのルールやセオリーに従うのは当然のこと。スポーツ物語には、たまに競技の本懐を無視したチャレンジをする輩が登場しては盛り上がるのだ。

この『ロリィの青春』、単行本全10巻を通じて、ロリィの馬術トライ物語である。ロリィは、自分に馬術を教えてくれたド素人のクレオの馬術を信じ、これで全米選手権に優勝する。ほかのプロたちの面目丸つぶれである。

しかし、この漫画における馬術という競技、何を競うスポーツなのかがイマイチわかりにくい。障害を崩したり飛べなかったり、落馬したりしたら減点なのだが、それに加えてフォームが綺麗かどうかで減点されたり、されなかったり。美しさを競う競技なら、基本のフォームは絶対だろう。逆に障害を越してタイムを競う競技なら、美しさ如何での減点はおかしい。

ちなみに、障害馬術をサイトで調べると、フィギュアスケートなどとは違って、フォームでの減点という項目はないようである。ロリィが全国大会へ出場できるかどうかという大事な大会で、最大のライバル、エリザベートさんが美しくないという理由で大減点を食らって順位を落としたのは、主人公ロリィ様への優遇措置だったようである。いいなあ主人公はズルができて。

しかし、ロリィの馬術が突飛であればあるほど、2人の世界は他者に犯されがたく濃密になる。コーチやら馬やら変えて、さくさく上達したり結果を残すようでは、「あーやだ、クレオに教わった馬術、時間の無駄だったよ!」とかなっちゃって、ありがた感がまるでない。

もしも筆者に英語のウンチクたれた男の指導が、ものすごくためになっていたら、今ごろ忘れられない人になっていたかもな(あ、別れる前提になっちゃってるけど)。だけど努力もなしに人に力が及ぼせるほど、現実はそう甘くはないってことで。
<つづく>