恋愛について考えるとき、必ず思い出す歴史的逸話がある。お市の方と信長のやりとりだ。夫である浅井長政が信長を裏切り、信長陣を包囲しかけたとき、お市の方が信長に小豆袋を送り、袋の両端をギュッと縛った。それを見た信長が「む、俺は敵に挟まれている!」と悟ったというのだ。

なんのニュータイプの話だか。まあ、この逸話はフィクションの可能性が高いのだそうだが、しかしどうにも恋愛において、このようなやりとりが交わされているように思えてならないのである。つまり、「ものすごく遠回しに相手の様子をうかがう」とか「とりあえず相手に迎合して、自分の株を上げようとする」とか。

『ハチミツとクローバー』(以下『ハチクロ』)では、「人が恋に落ちる瞬間を見てしまった」ようだが、先日、私は「人が一生懸命アプローチしている瞬間を見て」しまった。目の前で、男が自分を通り越して、女の子を口説いているというのは、よく考えたら情けない話だけどな。

で、そのアプローチ男子、女友達に「××好き?」と聞いて、「好き」と言われると「俺も!」。女友達が「来週、京都に行くんだ」と言うと、「俺、今一番行きたいところが京都!」と言う。なんかウソっぽくて、"ただ見目美しい彼女の気をなんとか惹こうとしているようだ"という感じ。彼女はとても頭のよい人なので、それじゃあ無理だろうなあと思いながら横で酒を飲んでいたのだが、なぜウソっぽいかというと「なぜ好きなのか」「なぜ行きたいのか」という理由を聞かないし、語らないからだ。

人の行動というのは、その人の考えや感情から湧き出た末端で、それを行う理由……根源は、人それぞれである。その根源を共有したり尊重できて初めて、「性格が合う」というのだろう。会話を掘り下げていくことをしなかったら、話をしても満足感はないし、「相手を知る」ことにはならない。アプローチ終了後、女友達に感想を聞いてみたら、「みんなに同じようなことを言ってるんだろうな~って感じだった」と言う。つまり、薄い質問で盛り上げようとしているところが、彼女の考え方・感性に興味を持って質問をしているのではない感じがムンムンなのである。頭のよい美人は、人の思考を読むのも得意だし、よくよく人からアプローチも受けるだろうから、アラが見えて仕方がないのだろう。

しかし、アプローチ男子のような恋愛観が充満しているのは、人と深くつながろうという意識が薄い、もしくは「言わなくても通じ合う、信長とお市」みたいな気になっているか、どっちかなのかな、と思う。だけど小豆袋はフィクションだから! ハッキリ言わなきゃ通じないし、きちんと話せば、人とすれ違うこともめっきり少なくなるはずなのだ。

『ハチクロ』でいいなあと思うのは、たくさんのカワイイ男女が登場する中で、めっぽう片思いがたくさんあるのだが、大抵のキャラが相手にハッキリ告っているところだ。現実では告ってダメなら縁が切れたり、それを恐れて告らなかったりということが多い気がする。でもさ、縁を持ちたいという人を好きになるのであって、告ってダメなら縁が切れる、というのはおかしな話じゃないか。

『ハチクロ』は、普通の美大生達の愉快な話のはずなんだけど、全体的にメルヘンな空気の漂う作品である。それは、描かれる恋愛がすべて片思いだからだ。もちろん片思いって確かに辛いけど、付き合った相手と別れる辛さに比べたら、アリに噛まれたくらいのもんじゃないか。そういうヘビーな事象が起こらないから、『ハチクロ』は初々しくて胸キュンで楽しいのだ。

これでもし、あゆが真山と一度でも付き合ってたという設定だったら、話はものすごく生々しくなるはずなのだ。相変わらず、あゆは真山が好きで、真山はリカを追いかけているのだとしたら、痛さはスズメバチだ。もしはぐが、竹本くんから森田さんに乗り換えたとしたら、あの愉快な仲間達は、雲消霧散していたはずだ。仲間の中で変に2人だけの世界を構築したり、告ってダメだったから脱退ということもなく、ずっと仲良しなところが、ものすごく夢があってメルヘンなのだ。

次回は、登場人物の魅力について。『ハチクロ』の男子たちは、特にヒーローでもなんでもないんだけど、フツーにみんな魅力的なのであるよ。
<つづく>