ほんの短い期間だったけれど、専業主婦だったことがある。これが非常に辛かった。夫を送り出した後は、自分の所在がない。ただなんとなく家事をして、夫の帰りを待つのだ。夫が帰ってきたら、ようやく生活が活気づき、一日が始まった気がする。

しかし、夫にとって帰宅するということは、一日が終わったということなのだ。自分は夫が中心の生活だが、夫は違う。このギャップはいかんともしがたかった。で、こりゃいかんと思って昼間に働いたり、学校に行ったりし出したら、今度は夫との生活の価値がなくなってしまい、離婚になってしまった。仕事を始めてみて思ったのは、なんの才能もスキルもない人間が、確固たる自分の足場や価値を見い出すのに、仕事というのはなんと便利なものかということ。自分の力で自分を養っていけるということが、これほど幸せなのかと思ったものだ。

動物の一種として生まれたからには、伴侶は欲しいと大抵の人は思うのではないか。しかし現在、多くの働く女が結婚にあぶれている。その理由はなんだ。男には恐らく降りかかることの少ない、「結婚か仕事か」という選択を強いられるからだろう。

絹恵は、大学生時代から付き合っていた男がいた。彼は働く絹恵を応援し、疲れていればご飯を作ってくれる。一見、心の広い男だった。しかし、実家の静岡に戻り、家業を継ぐことに決めたあたりから様子がおかしくなる。絹恵に、「結婚してくれ。ついてきてくれ。それができなければ別れる」と告げる。

長く付き合っているカップルというのは、空気のように当たり前で、大切な存在になるものだ。別れるなんて考えられない、ついていく、結婚すると絹恵は決める。せっかく手に入れたバイヤーという職を捨てる覚悟だ。仕事を辞める前に、成果を残そうと必死になって働いた。

しかしそのために、「結婚する気があるのか」「どうせ辞める仕事なら適当にやればいいだろう」と男がぶち切れるのだ。自分が一生懸命になっていることに対して、男からみじんも理解を得られなかった。そこで気がつく。自分にとって仕事とはなんだ。「自分の価値を見い出せるもの」だ。なんの取り柄もなく、価値のない自分が、価値ある存在へとなれる可能性があるもの。自分に自信と生きる意味を与えてくれるもの。絹恵は自分が仕事を辞められないことに気がつく。それを尊重してくれない男とは、結婚はできない。

もうこのあたりで、私の共感はMAXだ。なーにが「ついてきてくれ、できないなら別れる」だ! 別れてもいいような相手と結婚しようとするんじゃないよ! 仕事頑張れとか上っ面だけいいこと言って、「俺に損害がない程度なら」ってことじゃねーか! 結局、自分が欲しかったのは、自分に都合のいい女だったってことだろう! なんで女ばっかり我慢しなきゃいけないんだ!

すると男はこう言う。「俺、我慢ばっかりしてて」。ん? そうなの? 絹恵も驚いているようだ。まあ向こうにも言い分はあるようだ。恋愛って、対利己的になりがちだけど、自分も間違いなくそうだったらしいと気づかされる。

つまりこの2人は、長く長く付き合っていて、相手にいい顔ばかりしながら、一度も、肝心なことに目を向けたことがなかったのだ。相手が何を求めていて、何がイヤで、どうしたいと思っているのか。高価な指輪を贈ったり、ムードのいい店に連れて行ったり、形ばかり心をとろけさすことには尽力したけれど、中身がなかった。「2人じゃないと築けない」深い関係を作ってこなかったのだ。

「フツーに会社に入って、フツーに女の人と付き合って、フツーに結婚できると思うと、安心した。でもフタを開けてみたら、甘かった」と男は言う。フツーってなんだ。いくら給料をもらって、どんな会社に勤めれば「フツー」なのだ。そんなもの、住む世界が、社会が、時代が変われば形が変わる幻なのだ。フツーなんてもの、この世の中にないんだよ。

仕事か結婚か。そんなの、「テニスとお寿司、どっちが好き?」くらい別物であるはずだ、と思うんだけどね。そうはいかないのが、女の人生というものなのね。
<つづく>