男は面食いだ。間違いない。責めているわけではない。視覚で伴侶を見極めるのは、本能だそうだからだ。故に女たちは、中身よりも見た目を磨くのに忙しい。若いうちは、人間の中身の価値など、ようわかったもんじゃないから、女たちはとにかく外見を磨くのに必死だ。先日など「趣味は美容です」と言っている女がいて、びっくりした。が……がんばれ。
しかし、芸能人にでもなれる遺伝子をもらったわけでもない限り、努力してもまあ天上は見えている場合が多い。特に、金持ちの男は美人を捕まえる傾向にあるので、中流階層の子どもは、ルックス的にも普通の場合が多いのだ。こうこうなると、金もない、美しい容姿もない、ないないづくし、ないづくし。「面白いキャラ」を打ち立てて活路を見い出す前向きな人間ならよいが、ちょっと控えめだと、もう「夢」に活路を見い出すことになる。
この、つまらない「自分」という人間が、どうにかなって生まれ変われたらいいのに。70年代には、女という性そのものが否定的であったため、「孤児」→「大金持ちの娘に」なんて話がざらにあった。『キャンディ・キャンディ』や細川智恵子の『あこがれ』がそうだし、上原きみこもそんな短編を書いている。
そこに現れたのが『ぼくの地球を守って』(通称 ぼくたま)だ。この話は、フツーの高校生たちが、「僕たち、実は遠いお空の星の、宇宙人の生まれ変わりだったみたい」ということから始まる。主人公の坂口亜梨子(ありす)は、団地に住まう中流階級の娘で、友達はいないけど草木とはお話ができるという、少々痛い女子高生である。
しかし! 実は彼女、モク=レンという絶世の美女で、キチェ・サージャリアンという、数億人に一人と言われる超能力者。しかも頭脳明晰という、非の打ち所がない宇宙人の生まれ変わりだったのだ……! これなら、現在両親が健在でも、自分の出生を塗り替えて、人生を新たに組み直すことができる。わあい、生まれ変わり万歳。
しかも作中、主人公たちは、前世の記憶を夢として見る。これがまたいけなかった。漫画にムチュウになった読者たちは、次々と壮大な夢を見ては、真剣に「自分も宇宙人の生まれ変わりだったのか!」と信じちゃったようなのだ。不思議系の雑誌で、生まれ変わりの仲間を捜す人々が続出したとか。若いころは、漫画を読んで寝たら、その漫画の夢を見て超ハッピー、なんてことがよくある。読んでいる漫画が、恋愛学園ものとかなら漫画の夢を見たところで「学園長様が出てきたわ♪」くらいで害はなかったが、『ぼくたま』は、「前世の夢を見る」漫画であったため、漫画の夢を見る=私にも前世が! ということになっちゃったらしい。感受性の強い子どもたちには、格好の逃げ場になってしまったようだ。
ちなみに先日、なんでだかさっぱりわからないんだけど、嵐の二宮和也に告白される、という夢を見てしまった。目が覚めた瞬間はドキドキしたけど、我に返ってぐったり。この年になってその夢は痛いだろう……誰にも言えません……。
というわけで、多くのいたいけな少女をムチュウにさせた『ぼくの地球を守って』。少々オタク色が強い気がする(話の途中で突然キャラがギャグ化して『がーん』とか、変な戦闘服を着てギャグを言い出したり、それらをト書きで全部説明したり、少々衣装がもっさかったり……)のだが、もちろんここにはヲトメ色もバッチリだ。
亜梨子の家の隣に住む小学生・輪や、前世でモク=レンとなんやかんややるシ=オンなど、美味しいキャラや事件が盛りだくさんなのだ。それらは次回以降にお話しするとして、謎解きの要素もあり、現世と前世の話が交互に進んでいき、飽きさせない。問題化するほどの漫画には、やはり様々な吸引力があるものなのだな。
<つづく>