理想の恋愛ってなんだろう。例えば、自分を好きな男がいるとする。それだけでも、自分の価値が少し上がった気がするだろう(「彼氏いないの? かわいそう……」とか言う女って、結構いるしな)。その男がブサメンではなくイケメンでモテモテなのに、ほかの女に目もくれず、自分に一筋だったら……。自分の価値も、男の価値も、ぐっと上がる。
では、女として理想の状態ってなんだろう。「モテモテになること」と言う女は多いだろう。自分で自分の価値を決められる意志のある人間なんか、たくさんはいない。大抵は「誰かに認めてもらったから、価値を感じられる」だ。「モテる」なんていうのは、自分の価値を手っ取り早く知ることができる、最高の状態なのだ。
というわけで、少女漫画に登場するヒーローは、まあ大抵はモテモテで、もちろん主人公の女も、もちろん意味もなくモテモテである。例えば、ニートでほかの女とは知り合いもしない男と、不思議ちゃんで、みんなからの笑いものの女が、出会って恋に落ちたとしよう。まー、誰も邪魔しないだろうし、「あ~、好きにやってくださいな」どまりのはずだ。男女がなんやかんややってくっつく話は、モテ男女だからこそ話題があり、夢があるのである。
ヲトメの夢がギッシリ詰まった『銀の鬼』の十年(とね)も、当然モテモテである。ふぶきももちろんモテモテで、登場する男はすべてふぶきを好きになり、そしていい気持ちにさせてやる(もちろん読んでる女は主人公に感情移入してるため、要は読者がいい気分になるのである)ために登場すると言っても過言ではない。そして、これまたふぶき(と読者)をいい気分にさせるために登場するのが、十年が地味に会社勤めをしている先の社長令嬢、麗子だ。
これがもう、典型的な「イタイ年増」という扱い。年相応の、知恵も分別もない、若くあることだけに固執したバカ女……。まあ昔は、「結婚している女は正義」で「未婚の女は悪」という振り分けだったらしい(斎藤美奈子著『紅一点論』より)ので、30も近くなって未婚の麗子は、明らかに悪なのだ。
ほんの10数年前まで、女の価値は若いことにあった。今、アラフォーとか言って女性がいつまでも若々しく元気なのは、「若さ」に頼らない女性の価値がどんどん見出されているからだ。しかし『銀の鬼』の時代、唯一登場する年上の女が、このイタイ麗子さんなわけで、時代とはいえ、ある種の悪意のようなものを感じずにはいられない。それは、『I LOVE HER』に登場する、新ちゃんの元カノが、なんとなーく悪者風味を出していることからも伺えるのだが。
で、その麗子。十年のことが好きで好きで、なぜだか十年と見合いをセッティングする。なぜ、すでに知り合っている男女が、わざわざ見合いをするのかわからんが、昔は結婚に至る通過儀礼として、必ず見合いが行われたんだろうか? それはいいとして、30歳目前にしてフリフリを着て、客観的視点が欠如している麗子さん。十年にボロボロにこき下ろされているが、えーと、年が違うだけで、ふぶきも結構無責任だぜ。せっかく雇ってくれた旅館を「十年が生き返らないから」などという自分勝手な理由で、たった1カ月で辞めるし。
まあでも、十年のツノを折って隠しちゃって、無理矢理結婚して(『戸籍なんか十年ならちょちょいと変えられる』にもかかわらず、登場人物がみな届け出にこだわってるあたりが失笑ものだが、もしかして十年が変えられるのは戸籍の「生年月日」だけで、「婚姻届」はできないのかもしれないな)、何が楽しいんだかわからない新婚生活を送っていた麗子だが、ラストで突然改心したようなので、年増でもイタくても、そんな悪いもんじゃないよということなのか。少しは救いがあったみたいで、よかったなあ。
<『銀の鬼』編 FIN>