もう20年ほど前になるのか、『ヤングガン』という映画があった。エミリオ・エステベス、チャーリー・シーン、そして俺はジャック・バウアー、「24」のキーファー・サザーランドが、めっちゃ美味しい役で出演していた大人気西部劇だ。ビリー・ザ・キッドとその仲間たちの物語で、私はこれを見て、ジャック・ザ・リッパーとビリー・ザ・キッドの区別がつくようになったのであった。

あまりに好評だったせいか、『ヤングガン』の続編が出た。これも予想外に好評だったようだが、私としては「実は生きていた!」というのが、どうにもダメで。ジョン・ボン・ジョヴィが出演していると聞いていたが、登場して1秒で死んでるし。サブリミナル出演である。『ヤングガン』シリーズは、友情、名声、正義といったテーマで、男子のツボを押しまくったらしいので、まだの方は是非。

そしてその「実は生きていた!」が、繰り返し繰り返し、親の敵のように起きるのが『銀の鬼』である。鬼の十年(とね)は、そりゃーもうよく死になさる。警察に打たれて死に、鬼毒酒(鬼を殺せる酒なんだそうな)を飲んで死に、角を折られて弱って死に、そのたびにお話は悲しくなって大盛り上がり。そしてそのたびに劇的に生き返りなさり、話は続く。最近、20数年のブランクを経て続編が出たようだが、初っぱならからまた「実は生きていた」で始まるようだ。

物語上で起こる事象は、すべて話を盛り上げるためのもので、十年がよく死ぬのは、なんやかんやや大騒ぎするためである。そこに、少女漫画でよくある「ヤりたいのにできない」問題が勃発するのである。その理由が凄い。鬼(十年)と人間のふぶき、というだけでも生きる長さが違うだとか悪者と少女がそんなことでよいのか、などと言っていたのだが、なんとなんと、精錬潔癖な少女ふぶきは、実は神様だったことがわかるのである……!

鬼である十年が「うごけなくしたり、口をきけなくしたり、戸籍の生年月日を変える」くらいはできるのに、ふぶきときたら普段は何もできない。降って湧いたかのような「神様」称号なのだ。唯一、本人の意志とは違うところで、生き物を復活させる力があるようで、猫やら十年やらが生き返ったりする。が、そこから大きく話が膨らむこともなく、この「神様」称号は、十年との距離を一層広げるためだけの名目のようだ。少女漫画の素材は、とにかく「恋愛の障害」にあればよいのである。

ところで十年は普段、ちょっと優男風の人間に化けている。そして夜になったりすると、突然髪がぼうぼうに伸び、X JAPAN(つうか歌舞伎?)みたいな様相になる。十年は、歌舞伎姿になって女を食らったりするので、警察やらなんやらに追われて、ふぶきと一緒に地方に逃げることになった。お互いの愛を確信した2人が、「もうそろそろいいんじゃね?」ってことで、とうとう結ばれることになる。そしてドッキドキのサービスシーンが……と、そのとき! 興奮して我を忘れたのか、それまで優男の姿だった十年は、ふぶきを押し倒したところで、いきなり鬼の歌舞伎姿に大変身するのだ。

仰天して逃げ出すふぶき。いくつになったって、初めての相手とは緊張するものである。それが神様の女子高生ならなおさら。にもかかわらず、目の前でいきなり男が歌舞伎に大変身したら、そりゃ誰だって逃げ出しますわ。少女漫画によくある「ちょっと待った」だが、これには吹いてしまった。いくら念願のサービスシーンとはいえ、もうちょっと配慮してやれよ、十年。

というわけで、このとんまなおふたりの奏でる恋愛模様だが、これまた少女漫画によくあるように、この2人、やたらモテてモテて。次回はそんなお話を。
<つづく>