近頃、Instagramでストーリーを投稿するたび、狂ったように閲覧者の足跡をチェックしてしまう。

その昔、ちょっぴり良い感じだった男性が、私の投稿を見にきている形跡があるからだ。我々の関係が終わりを迎えたのは、彼が突然フェードアウトをしてきたからである。

それなのに、なぜ今さら彼は、私のSNSをのぞきに来ているのだろう。考えられる理由は2つ。

彼は「私を手放したことを後悔している」か「何も考えていない」か。見解としては後者である。彼はきっと何も考えていない。今日も世界のどこかで、彼はのうのうと楽しく生きている気がする。

その生活のほんの一部に、私のストーリーを覗くという"プチ刺激的なサイクル"が含まれているだけなのだろう。

その一連の行動に高みの見物感があり、癪に障る。一方で私自身も彼を意識して「盛れている自撮り」を載せてしまうことがあり、こんなジレンマを抱えている自分に疲弊していた。

  • 『38歳バツイチ独身女がマッチングアプリをやってみた結果日記』(幻冬舎)

人間の一抹の哀しみをユーモラスに伝える傑作

『38歳バツイチ独身女がマッチングアプリをやってみた結果日記』(幻冬舎)を読んでから、私は男性の気持ちが少し理解できるようなった。

この漫画は、24歳で初彼氏と結婚したが33歳で別居、37歳で籍が抜けた"チアキ"という女性が主人公である。彼女は失った青春を取り戻すべく、数多くの男性とマッチングアプリで知り合い、精神的な冒険を重ねていく。

大学生と昼間から映画館に行ったり、容姿端麗な大手企業の社員と食事デートを繰り返したり。

一方で性格的にマッチしない男性や、"ヤリモク"(セックス目的)の男性にマッチしてしまうことだって、山ほどある。アプリの性質上、こうしたガチャ的要素はどうしても避けられない。

それでもチアキは果敢に男性を知り、傷つき、癒やされ、時にはセックスを楽しむ。その一連の行動がすべて能動的であり、最高なのだ。

  • チアキの能動的な行動が最高なのだ

もし仮に、「38歳バツイチ独身女がマッチングアプリを意味もなく楽しむなんて」という声が世間にあったとする。しかし本作を読めば、それらネガティブな意見を一蹴するほど彼女が人間の本質に立ち返り、魅力に溢れていることが分かるはずだ。

人間の一抹の哀しみをユーモラスに読者に伝える点が、本著が傑作たらしめる理由だと私は思う。

チアキは「38歳バツイチ独身の自分がアプリを使う自分」を便宜上、自虐することはあっても、常に男性に対して敬意は忘れない。そして根底に、楽観さと前向きさがある。その点が誠に痛快だ。チアキは男性達によって少しずつ自分を知り、他者を受け入れる。時には死ぬほどつらい感情が湧き出ても、翌日には笑って前を向く。

その点で本著は、実録的ヒューマン・ドラマといえるだろう。

人間は他者と関わり自分を知る

私自身も日々、自己肯定感が絶頂まで上ったり、奈落の底まで落ちたりする。メンタルの揺れは、自分でさえ完璧に制御することができない。だからこそ、私は私を満たしてくれる男に出会いたいと心から思う。

最初は刹那的でもいい。しかし、そこから永続的な関係性になってくれれば最高である。

その可能性に賭けるべく、「マッチングアプリ」という武器を使って果敢に人生に挑戦するチアキは、私の分身だ。

この漫画を読み終えたあと、私は「人間は他者と関わることで自分を知る」というシンプルな答えに到達した。本コラムの冒頭に登場した「私のストーリー見まくり男」に関して言えば、引き続き、気が済むまで見まくったらよいと今は思う。

しかし私は、ひと足先に次の世界に行きますね。ごきげんよう。