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初恋、結婚、就職、出産、閉経、死別……。
人生のなかで重要な「節目」ほど、意外とさらりとやってきます。
そこに芽生える、悩み、葛藤、自信、その他の感情について
気鋭の文筆家、岡田育さんがみずからの体験をもとに綴ります。
「女の節目」は、みな同じ。「女の人生」は、人それぞれ。
誕生から死に至るまでの暮らしの中での「わたくしごと」、
女性にとっての「節目」を、時系列で追う連載です。
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ネバーエンディングノート
命賭けの仕事を成し遂げたとある偉人の伝記を読んでいたく感銘を受け、あるいは子供を狙った事件や大規模な自然災害の報道に怯え、小中学生の頃は、とても熱心に遺書を書いていた。リング綴じのノートを使い、学期に一度くらいは古いページを破り捨て、新しい内容に更新する。交通事故や殺人事件に巻き込まれて家族もろとも突然死んでしまった後、見知らぬ誰かに発見されることを前提とした書簡形式の文章だった。
「あなたが今、これを読んでいるということは、私の死は、私自身が望んだものではなかったということです」という書き出しから始まる。死にたくて死んだわけじゃない、それをわかってほしい、と明記した(自殺するときは別の遺書を準備する予定でいた)。今やろうとしていて、でもまだできていないことを羅列した。私には成し得なかったことを未来の誰かに託したい。すっかり偉人気取りである。
次に続くのは、「お葬式に絶対に呼んでほしくない人」のリストだった。家が近所というだけで一緒に登下校させられているいじめっ子、愛想よくしろと怒られても全然好きになれない親戚、私の気持ちを踏みにじった教師や修道女たち。傍目には仲良しに見えるけれど本当は大嫌いなあいつらが、死人に口無しとばかり「私たち、親友だったんです」なんて物語を美化するのは我慢ならなかった。今までずっと耐えてきたのだから、最期くらいは私にも彼らを拒絶する権利がある! この「嫌いな人」リストは毎回ゆうに2、3ページ分あって、書いてみると我ながら内にため込んだ負のエネルギーに慄いた。いったい普段どれだけ本心を偽って人付き合いをしているのか。私には心底愛する他者なんてただの一人もいないし生涯見つからないんじゃないか、と不安になった。
ちなみに4ページ目以降は「棺には萩尾望都の漫画を入れてほしいが、初版本を燃すのはもったいないから、火葬用に新品を買ってくれ」「花の代わりに聖闘士聖衣神話を供えてくれ」「母親は学校の制服を死装束にしたがるだろうけど、去年の発表会で着たよそゆき服のほうにしてくれ」といった細かすぎる指示が続く。自分に何かあったら誰かが動いてちゃんと世話を焼いてくれる、と信じて疑っていないあたりが、いかにも子供らしい。
もしも私の人生が、誰かの敷いたレールの上をただ走っているその真最中に、これまた私にはどうにもできない不可抗力によっていきなり強制終了させられてしまうなんて理不尽なことがあるのなら、せめてこの世を去る最期の儀式くらいは、自分の思う通りにさせてもらいたい。そう思っていた。感謝にせよ、憎悪にせよ、「本当の気持ち」をどこかに書き付けておかないと、私という存在が、死ぬ前から葬り去られてしまうような気がした。
何もかも嫌になった夜に学習机の引き出しからこの「遺書」を取り出して更新するたび、私は今、ちっとも自分の好きなようには生きられていないんだな、と悲しくなった。だったら、こんなところで死んでたまるかよ、と熱が沸いた。死後に起こることを想像するのは、自分がまだまだ「生」に執着していることを確認するための作業だった。
予行演習を続ける
1ページ目に高校生の字で「私の弔いには赤い喪服を着てくれ」とだけ書き殴られた新品同様のリング綴じノートを発見し、あまりの青臭さに文字通り死にかけたのはいつのことだったか。ノストラダムスの大予言が地球を滅ぼしてくれると期待していた1999年はとっくに過ぎ去り、「死んだ後まで他人の振る舞いに注文つけようなんてこのガキは何様だよ!」と呆れるほどには大人になった。
「どんなふうに人生を終えられたら幸福か?」とばかり思い悩むのは、現状に不満があるからで、だったら死ぬ前にやるべきことがあるだろう。今は昔より素直に生きられているし、嫌いな人とうまく距離を置く術も身につけた。保険にも加入したし、誰にも迷惑かけずに事後処理を業者に外注できるくらいは貯金もある。死を想わないわけではないけれど、遺書に書き残してまで頼みたいことも思い浮かばない。
代わりに、生きている間に起こる出来事のほとんどすべてを「これは葬式の予行演習だ」と考えるようになった。たとえば一人暮らしで引っ越しをするときは、これが自分ではなく、見知らぬ誰かの遺品整理だったら、と仮定すると捗る。取っておけない不用品や、思い入れ以外の価値がないものをバサバサ捨てられる。自分の遺品は自分では整理できないわけだが、恥ずかしい遺書のノートはそうして捨てた。
あるいは、「2004年に大学卒業」「2012年にデビュー」といった自分の略歴がまるで無意味なただの時系列情報であることに愕然とするとき。偉人の伝記や成功者の履歴書を読むと、すべてが綿密に設計された運命的な選択の連続であり、それが彼らのパーソナリティに直結していると信じそうになるのだが、凡人の人生はたまたま合格した学校へ通い、ちょうど採用していた会社で働いて、うっかり取った資格や賞罰がいつまでもつきまとうだけであり、そんなものから人格が読み取れるはずもない。「でもまぁ、死んだら訃報なんてこうやって書かれるんだもんね」と言い聞かせて目をつぶる。墓に刻まれる享年がいくつになるかも自分では決められないのが人生である。
数年前、友人が催してくれた会費制の結婚パーティーもそうだ。たしかに「お誘い合わせてお越しください」とは言ったが、ごく一部、なんで貴様が来るんだよ! とたまげる来客もあった。とはいえこちらは当日、甲冑のようなウエディングドレスを装着してまっすぐ歩くこともままならない状態で、360度全方位からバシバシ写真を撮られているうちに終わってしまった。参列者名簿なんてろくに確認しなかった、大評判だったケータリングは一口も食べてないし、丸投げした会場装飾も閉会後やっとゆっくり見たときには撤収が始まっていた。あんなに入念に式次第を打ち合わせた幹事たちにさえ「ここでサプライズでーす!」と不意を突かれ、用意した挨拶はすべてアドリブに置き換わり、さんざん引きずり回された新郎は、打ち上げの席で食あたりして翌日から寝込んだ。
ぶっつけ本番リテイク無しで終着点まで自動的に運ばれて行くようなセレモニーの主役となり、「今日のところはどーんと構えて、ただそこに座っといてください!」と指示されるような役割期待を負うのは、初めてだった。きっと葬式もこんな感じなんだろうな、主役はただ棺で寝といてくださいって話だもんな。そして「いやー、いろいろ大変だったけど、みんな楽しそうだったから、やらないよりはやったほうがよかったよねー」と思うしかないんだよね、きっと。
「続き」を生きる
みずからの死を完璧にプロデュースする気まんまんだった子供が、一歩ずつ、一歩ずつ、人生に妥協点を見出して大人になっていく。昔は刹那的なロックスターに憧れて「30歳までに惜しまれつつ死ぬ」のが最高だと思っていた。30歳を過ぎたら、生き死にには最高も最低も最適解もなく、神に恃もうが悪魔に売り渡そうが、「まぁ、適当にやってよ」としか言えないのだ、とわかってくる。
遺灰はイーストリバーに撒いてくれ、とかっこつけたいところだが、法律上許可を取るのが面倒だったりするなら、撒いても撒かなくてもどっちでもいい。どんな奴が来て好き勝手に泣き叫ぼうと、棺に何を突っ込まれようと、すべて灰になるのだから仕方ない。あるいは生前いくら葬儀不要と言ったって、遺された者たちがどうしても上げたいと思ったら、葬式なんかどうとでも上げられてしまう。死んだらそのことにも文句は言えない。
せっせと遺書を書いていた頃は、自分が自分の人生の本編を生きているつもりだった。これを途中で未完のまま終わらせるわけにはいかないと思っていた。今はもう本編ではなく、ボーナストラック、アンコール、綴じ込み別冊付録、そんなものを生きている感覚しかない。いつ気持ちが切り替わったのか、何か「節目」があったのかはわからないけれど、大人になるにつれ、悲しいことやつらいことよりも、むしろ嬉しいこと楽しいことがあったときにこそ、「あー、もう、死んでもいい!」と口にするようになった。そんなふうに言っているうちは、まだまだ死なない。「生」への執着が薄れてきたからこそ、もうしばらくは、ダラダラ生きることになるだろう。
岡田育
1980年東京生まれ。編集者、文筆家。老舗出版社で婦人雑誌や文芸書の編集に携わり、退社後はWEB媒体を中心にエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』『嫁へ行くつもりじゃなかった』、連載に「天国飯と地獄耳」ほか。紙媒体とインターネットをこよなく愛する文化系WEB女子。CX系の情報番組『とくダネ!』コメンテーターも務める。
イラスト: 安海