2番札所の極楽寺までは車がけっこう通る大きな道だけを歩いてきたが、今度は歩き遍路用の道を行く。国道から1本中に入っただけで人通りはなくなり、住宅街ばかり。道を尋ねたくても誰も通らない。お遍路の道しるべとして貼られているシールや看板も出ていなくて、たちまちどちらへ行ったらいいのか迷ってしまった。迷いそうなところにもっと看板出してくれればいいのに。通りにある家のインターフォンを押して道を聞こうかな~と考えていたら、たまたまトラクターに乗ったおじさんが通りかかったので道を尋ね、事無きを得た。
だが、しばらく歩くと今度はあぜ道のような細い道になった。また心配になるが、ずんずん歩いていくと、後ろから「ちりんちりん」と金剛杖に付いている鈴の音がする。やっと私以外の歩きお遍路さんが現れたようだ。何だかほっとする。だが、歩いてもなかなか次の札所に着かないので不安になり、田んぼで作業しているおばあさんにまた道を尋ねた。その間に、後ろにいたお遍路さんに抜かされた。その方は60歳ぐらいの男性お遍路さんだった。このお遍路さんについていけば道に迷わないかも。そう思って、せっせと後をついていく。すると、もう1人私たちの後から荷物をからから引っ張りながら歩いてくる70歳くらいの男性のお遍路さんも出現。3人もいれば心強い。そうこうしているうちに3番札所「亀光山 金泉寺(きこうざん こんせんじ)」に到着した。
金泉寺の山門も朱塗りで立派な門だ。平成8年に立て替えられたばかりだそうだ。この寺に弘法大師さまがやってきたとき、水不足で悩む地元の住民の声を聞き、大師さまが井戸を掘った。すると霊水が湧き出たのでその井戸を「黄金井(こがねい)」として、寺の名を「金泉寺」としたそうだ。ちなみに、今もある黄金井をのぞき込んで自分の姿が映ると長生きできて、映らないと3年以内に死んでしまうと言われている。恐る恐るのぞき込んでみると、しっかり映ったのでほっとした。
また境内には、源義経が平家を倒しに屋島に向う途中にここで兵を休めたと言われ、弁慶が力だめしに持ち上げた石という「弁慶の力石」が残っている。確かに重そうな石だった。
ベンチで休憩していると、先程のお遍路さん2人が座っていた。荷物を引っ張っていたお遍路さんは首に奥さんとお母さんの写真をぶら下げていて、お2人の供養のためにお遍路しているそうだ。驚いたことに「今回でお遍路9回目です」とのこと。9回もお遍路をしているなんてすごい! まだ1回も回りきれていない私にとっては、雲をつかむような存在である。一方、私を抜かして行ったお遍路さんは抜かしたことについて「後ろからおじさんがついてきたら、若い娘さんは不安がると思って抜かしたんだよ」と話す。気を遣ってくれていたとは……。それに、明らかに若い娘には見えない私に「若い娘さん」と言ってくれるなんて、いい人ではないか!
私たちはしばらくお茶を飲んで休憩して、何となくいっしょに次の4番札所「大日寺」を目指すことにした。