お遍路中に泊まったホテルで一番大きくて立派だった「ウェルサンピア高知(厚生年金健康福祉センター)」を後にして、バスに乗って32番札所「八葉山 禅師峰寺(はちようざん ぜんじぶじ)」へ向かう。バスを降りて、バス停からすぐの山道のへんろ道を登る。思っていたより、急な山道だ。「峰山」の上にあることから、地元では「峰寺(みねでら)」や「みねじ」などの愛称で親しまれている。この小さな山の形が、観音菩薩が住んでいる補陀洛山(理想の山)のような八葉の蓮台に似ていることから、「八葉山」と号された。そして行基(禅師)が峰山に開いた峰の寺という意味で、「禅師峰寺」と名付けられたそうだ。
山門までも山門からも、急な階段が続き、途中で息切れする。山門には、普通はいるはずの金剛力士がいない。その理由は、ここ禅師峰寺の金剛力士像2体は、重要文化財に指定されていて宝物館に保存されているからだ。宝物館を拝観させていただくと、金剛力士像2体の前に説明書きがあり、鎌倉時代の正応4年(1291)の定明作とある。いくつかの本に平安時代の仏師・定朝の作と書かれていたのが、やはり違っていたようだ。なぜなら、定朝が作ったと正式に認定されている仏像は、京都の平等院鳳凰堂の阿弥陀如来のみのはずだから。定明と定朝、名前が似ているから間違えたのだろうか? 定朝作でないにしろ、躍動感あふれる立派な金剛力士像である。金剛力士像の他、宝物館に安置されている寺宝は、徳治3年(1308)銘のある鐘や、永録13年(1570)銘の鰐口などがあった。
禅師峰寺は、行基が開基した寺。大同2年(807)弘法大師がこの地を訪れ、虚空蔵求聞持法を修行した。虚空蔵求聞持法とは、作法にしたがって真言を100日間かけて100万回唱えるというもので、これを修した行者は記憶力が増大するそうだ。そのうえ、弘法大師は、土佐沖を通る船の安全を祈って、11面観音像を刻んで堂に納めたといわれている。漁師たちは、その11面観音像を「船魂(ふなだま)観音」と呼んで深く信仰した。歴代藩主も出航のおりには、航海の安全を祈ったそうだ。
境内には、奇岩奇石が数多くある。元は海にあったのが隆起した物らしい。そのうちの一つとして、鐘楼の右後ろにある「潮の干満岩」は、岩のくぼみに溜まった水が潮の干満によって水位が変わるそうだ。こんな山の上なのに、今もどこかで海とつながっているのだろうか。本堂前の奇岩奇石の岩間に、「木枯らしに岩吹き尖る杉間かな」の松尾芭蕉の句碑もある。
禅師峰寺は山の上にあるのでとても見晴らしがよく、土佐湾を一望できて気持ちがいい。しばらく景色を堪能した後、今日は次の札所でなく、桂浜に行って観光する予定なので桂浜を目指して山を下りた。