29番札所 国分寺を出て、約9.5km先の30番札所 百々山 善楽寺(どどざん ぜんらくじ)を目指して歩いていたら、途中で他のお遍路さんに誰にもすれ違わないし、案内版も見あたらなくなり不安になって来た。すると道ばたで車を止めて休憩しているおじさんがちょうどいたので
「30番札所 善楽寺ってこの道でいいんでしょうか?」
と聞いたら
「歩いたら、まだだいぶ遠いよ。乗せてってやるよ」
と言ってくれたので、お言葉に甘えて乗せてもらう。車だとあっとう間に着いた。降りるときにおじさんは親切に「次の札所の竹林寺はあの大きなアンテナが立っている山を目指して歩いて行けばいいよ」と教えてくれた。お礼を言って車を降りる。
そこには「土佐国一ノ宮」と、書かれた大きな石があった。目の前には立派な楼門がある。1631年に2代藩主の山内忠義の建立した門で、国の重要文化財に指定されている。あれ、善楽寺はどこ? と思っていたら、約300m先の長い参道のつきあたりは土佐神社で、その右前に善楽寺があった。
善楽寺の入り口は、コンクリート門があるだけのシンプルな作り。善楽寺は、桓武天皇の頃に弘法大師が土佐一ノ宮の別当寺として建立したという寺。その後、栄えていたけれど、明治の神仏分離によって廃寺となり、本尊は第29番札所の国分寺に、仁王像は第24番札所の最御崎寺に預けられてしまった。 その後、他の土佐一ノ宮の別当寺の安楽寺が先に再興されたので、ご本尊が安楽寺に移されて、30番札所となっていた。だが、昭和5年に、善楽寺復興して2つの寺が30番札所となってしまい、どちらが30番札所になるかでもめていたが、平成 6(1994)年に安楽寺の住職が善楽寺の住職を兼ねる事で双方の檀家も了承し、善楽寺が30番札所、安楽寺が30番札所奥の院となったそうだ。本尊は善楽寺に収まっている。
本堂は昭和57(1982)年に改築された。その隣には大正時代に建てられた大師堂がある。もともと現墓地にあった大師堂を、そのまま移動したそうだ。本堂向いにある、子安地蔵堂には子宝祈願にご利益があるといわれている顔や体が白い色に塗られたお地蔵様が祀られている。
子安地蔵堂の隣にある梅見地蔵は、文化13(1816)年に作られた。この地蔵は首から上の病気にご利益があると伝えられていて、脳の病気(認知症、ノイローゼ)、目、耳、鼻や頭=試験合格、学問向上などを願い、お詣りする人がたくさんいるらしい。なぜ「梅見地蔵」というのかと思ったら、以前は、大師堂の梅の木の下にあって、梅の花を見る姿であったのが整地するのに、この場所に移された。
善楽寺には、フェルト地の可愛い地蔵絵馬があるのが特徴的だった。安産や子宝など、たくさん願い事が書き込まれて、水子供養堂の壁にかけられていた。
次の31番札所 竹林寺はここからから約10kmで、歩くと2時間かかる。竹林寺に向かう途中に、宿泊予約をした厚生年金健康福祉センターの「ウェルサンピア高知」がある。とりあえず荷物を置きにいくために「ウェルサンピア高知」を目指して歩いた。