元橋のバス停

26番札所「金剛頂寺」を出て、元橋というバス停から安芸行きのバスに乗る。バスからずっと海が見える。約1時間乗って、「安田」で降りる。バスを降りてすぐのところに小さな食堂があり、そこの前を通りかかると店の人に「荷物置いていっていいよ」と声をかけてくれたのでリュックを預かってもらう。

バス停目の前に広がる海

27番札所竹林山 神峯寺(ちくりんざん こうのみねじ)は、標高632mの神峯山の中腹の標高約450mに位置し、「真っ縦」と呼ばれる急勾配の山道を登る。今まで訪れた中でも一番の急勾配で、登っても登ってもなかなか到着しない。今は車道が整備されて車でも登れるが、かつてはもっと険しく「遍路ころがし」と呼ばれていたそうだ。途中に枇杷の無人販売所があり、一袋100円で売っていたのでその場で食べる。甘くておいしい。車道から山道になってもやはり急勾配で歩くのが辛い。どうして高知の寺は、こうも山の上が多いのだろう。24番札所の最御崎寺も26番 金剛頂寺も山頂だった。辛くても、歩いて行くしかないので歩く。

神峯の水

途中、下ってきたお遍路さんがいたので「あとどれくらいですか?」と聞いたらもうすぐだと言われたが、それからも遠く、私が降りた海側のバス停から山門まで約1時間30分もかかった。山門には、新しそうな真っ赤な仁王様がいらした。山門をすすむと左手に納経所、右手に鐘楼がある。鐘楼の裏手に石清水が湧いていた。別名「神峯の水」とも呼ばれている。この水には1つの伝説が残されている。北海道在住の女性が病の床につき、危篤状態の時に夢に弘法大師が現れた。夢で大師は女性に鐘楼の後ろから湧く水を飲ませてくれ、目覚めた後に女性は一命をとりとめたという。その女性が後に探し回った霊験の水がここだったという。今でも、この霊水を求めに来る人もいるという。私も1口飲んでみた。なんか身体にいい気がする。

神峯寺「山門」

山門の仁王様

その「神峯の水」の横に本堂へと続く150段の石段がある。その石段沿いの両脇には手入れされた木が配置された日本庭園になっている。この庭園は、四国霊場随一とも言われていて、階段を登りきった眼下には、美しい庭が広がっていた。ツツジが満開のころなら、もっときれいだっただろう。

(左)急な階段
(上)上から見下ろした日本庭園

石段を上ると左手に本堂があり中央に地蔵堂、右手に大師堂があった。このお寺の本尊は、十一面観音菩薩像で行基の作といわれている。でも、秘仏で見られない。神峯寺は大同4年(809)、聖武天皇の命により弘法大師が来錫し、本尊を神峯神社に合祀して観音堂とした。その時、四国霊場札所に定めたといわれるそうだ。土佐路の関所寺にもされていた。その後明治初期の神仏分離令で廃寺となったが、明治20年(1887)に再建し、竹林山地蔵院と改め、昭和に入り、神峯寺となった。

神峯寺「本堂」

神峯寺「地蔵堂」

神峯寺「大師堂」

この寺は三菱財閥創始者である岩崎弥太郎の母親が、息子の開運を祈願して熱心にお参りしたと言われている。母親は自宅から寺までの20kmの道程を歩き難所を越え、約21日間も御参りを続けたという。私なら無理だ。

この寺の境内には、托鉢姿のおむかえ大師と歩いている姿のみちびき弘法大師の2体の弘法大師像があった。神峯寺を出て山を下っていると、2人組の歩きお遍路のおじさんがヒーヒー言いながら登っていたので「もう少しですよ」と声をかけた。だが、その後2人に次の札所に行く途中で会い、「あのとき、もう少しだって言っていたけど、遠かった!」と文句を言われてしまった。

お迎え大師

みちびき弘法大師

リュックを預けたお店に取りに行き、土佐くろしお鉄道の"ごめん・なはり線"の唐浜駅に向かう。駅にはアンパンマンの作者、やなせたかしさんに描かれた唐浜駅のキャラクター「とうのはま へんろ君」があった。とてもかわいい。同線の20駅全部に駅キャラクターが描かれているそうだ。「へんろ君」に癒された後、次の28番札所「大日寺」へ行くために、1両きりの電車に乗り「のいち駅」へ向かった。

唐浜駅のキャラクター「とうのはま へんろ君」

電車はなんと1両