26番札所 龍頭山 金剛頂寺(りゅうずざん こんごうちょうじ)までは25番札所の津照寺から約5km。金剛頂寺は山の上にあるので歩くと本来なら1時間40分くらいかかるところだが、途中で車に乗せてもらったおかげで、1時間くらいで到着した。
金剛頂寺の宿坊に入ろうとすると、観光バスの団体のお客さんで玄関は埋め尽くされていた。団体さんは玄関近くの部屋で、私は奥の部屋。とっても広い宿坊で迷子になりそうだ。夕飯は刺身もついて豪華。クジラの形の西寺とかかれた箸置きもかわいい。ちなみに、24番札所の最御崎寺と相対していることから、24番札所の最御崎寺を東寺といい、ここ金剛頂寺は西寺と呼ばれている。
翌朝の朝のお勤めは6時から、本堂ではなくて宿坊内の護摩堂であった。自由参加だが、私はもちろん参加した。護摩堂に行くと団体のお遍路さんが50人以上もいて、入りきれないほどだ。他のお遍路さんと一緒に読経したあと、住職の法話を聞く。終わってからご住職に「霊宝館の木造阿弥陀如来坐像、銅像観音菩薩立像、真言八祖像などを拝観させていただきたいのですが……」とお願いすると「そんなの急にいっても無理だよ。前もって手紙でも書いてお願いしないとダメ。まして今日は団体さんが多いし、雨。少しは相手の都合も考えないさい!」と怒られてしまった。
がっくり肩落とすと、さすがにかわいそうと思われたのか、「写真ならこっちにあるから、来なさい」と真言八祖像の写真が飾られている部屋に案内してくれた。ちなみに真言八祖とは、真言密教の開祖の龍猛から龍智・善無畏・一行・金剛智・不空・恵果と我が国に真言密教を伝えた空海までの八祖のこと。写真だけでも見られてよかった。朝食を食べ、宿坊を出発し、金剛頂寺へ参拝に行く。
昨日よりは小振りになったが、まだ雨は降っている。宿坊から本堂に行く近道があったのかもしれないが、よく分からずに厄坂の階段を登った。ここでも、階段には1円玉がたくさん並べられていた。階段の登ったところにある山門には大わらじが奉納されている。
山門の正面には本堂がある。ここ金剛頂寺は大同2年(807)、嵯峨天皇の勅願により、室戸岬に訪れた弘法大師が薬師如来を刻み開基したお寺。弘法大師が刻んだ薬師如来像は完成した時になんと自ら本堂の扉を開けて、鎮座したといわれている。
嵯峨天皇、淳和天皇の勅願所とされお寺は栄えたが、何度か火災に遭い、明治32年(1899)の火災により全山焼失してしまった。現在のお堂はみんなその後再建されたものである。昭和58年(1983年)に再建された本堂の中にはたくさんの仏像が鎮座しているが、弘法大師が彫られたという本尊は秘仏のため拝観できない。毎年12月31日~1月8日のみ御開帳さているそうだ。寒い時期にここまで来るのは辛い。
本堂の左横に校倉造りの建物の霊宝館がある。この中には大師の金銅旅檀具(こんどうたびだんぐ)、朝鮮高麗時代の銅鐘、平安末期作という木造阿弥陀如来坐像、白鳳時代作という銅像観音菩薩立像、鎌倉時代作という真言八祖像などが納められている。拝観出来ずに悲しい。今度、訪れる前には必ず予約しようと心の中で誓う。
大師堂の横に、弘法大師が三合三勺(一合=約180ml/勺=約18mlなので約595ml)の米を入れて炊いたら万倍に増えたという伝説がある「一粒万倍の釜」があった。とっても大きな釜だ。また当時、天狗が金剛頂寺にもあらわれて修業している僧を悩ませていた。そのことをお聞きになった弘法大師が天狗たちと問答をし、仏の貴さを教えて「私がここに居る時は決して来てはいけない」と言い、自分の姿を池に映して彫った。その像を弘法大師だと思った天狗たちは、その後はあらわれなくなったそうだ。天狗問答があったとされる場所に建っている大師堂の中に納められている弘法大師像は、毎年3月21日のみに御開帳される。
次の27番札所 神峯寺までは距離33km。歩くと徒歩9時間はかかりそうだ。バスに乗れば、約1時間で着くはずだ。雨だし歩くのは断念して、元橋というバス停へ向かった。