23番札所「医王山 薬王寺(いおうざん やくおうじ)」までは、22番札所の平等寺から約22km徒歩で6時間。筋肉痛で、6時間も歩けないので電車に乗る事にした。平等寺から約2kmのJR新野駅までは、歩いて30分。30分はがんばって歩き、新野駅から電車に30分乗って日和佐駅に到着。駅すぐのところに道の駅があり、足湯が無料であったのでつかる。気持ちいい。薬王寺の近くにはうどん屋や土産物屋が並びにぎわっていた。日和佐駅から薬王寺までは約300mで、徒歩5分。山門に大きなわらじが奉納されていた。高台に赤い色の塔の「瑜祗塔」(ゆぎとう)が見える。瑜祗とは、ヨガ行者ということ。瑜祗塔は、真言宗の経典である瑜祇経の教理を形に表したものだそうだ。

楡祇塔の展望からの景色

瑜祗塔

大きなわらじ

山門をくぐり、進むと女厄坂33段があり、その先に男厄坂42段の石段61段の 還暦厄坂がある。その石段には、前の札所の平等寺と同じように一円玉が置かれていた。なんでもこの石段の下には、薬師本願経を小石に1字ずつ書かれたものが埋められているので、厄よけのために1段ごとに賽銭を置きながらみんな上がっているそうだ。階段を登りきったところに、本堂がある。本堂裏には霊水が湧いていて、肺大師と呼ばれている。この霊水はラジウムを含んでいて、肺の病気に効くといわれているので「肺大師」と呼ばれているそうだ。本堂の左側に、大師堂、地蔵堂などが並んでいる。

女厄坂

肺大師

ここ薬王寺は、神亀3年(726)に、聖武天皇の勅願により行基が開基したお寺。後に弘法大師が世の人々の厄難を祓うために、薬師如来を刻んで厄除けの根本祈願寺としたそうだ。そのために厄除けの寺として有名。境内には、自分の歳の数だけ叩いて厄よけ祈願する厄災消除の鐘もある。

(左)薬王寺「山門」
(上)薬王寺「本堂」

厄災消除の鐘

文治4年(1188)に火災が起こった際に、本尊の薬師如来像は焼失を免れるため、自ら西にある玉厨子山に飛び去ったという伝説がある。その後、伽藍を再建して新しい薬師如来像を安置したところに、元の薬師如来が新しい薬師如来像に対して後ろ向きに戻ったそう。それ以来、本尊は二体となり、帰ってきた本尊は「後向き薬師」と呼ばれているそうだが、秘仏でご開帳はしていないので見られない。残念だ。現在の本堂は、明治41年(1908)に再建されたもの。

本堂横の階段を上ると、先ほどから見えている瑜祗塔があった。地下には戒壇めぐりがあり、拝観料は100円。入ってみると中は暗い。曼荼羅や書画や大きな絵馬などが展示されていた。2階に上ると展望台になっていて、見晴らしがいい。日和佐の海や山の上に日和佐城が見えた。展望台には、幸せを運ぶという金色の亀の像が置かれていた。

日和佐という地は、うみがめが産卵する砂浜があることで有名だ。ここ薬王寺から歩いて約20分の所に、日和佐うみがめ博物館「カレッタ」があるというので行ってみた。入り口にうみがめの形をした公衆電話ボックスがあり、展示はうみがめづくし。外のプールにいるうみがめにエサをやり、思わず楽しんでしまった。その後、薬王寺に戻り、薬王寺の宿坊の薬王寺会館に泊まった。今まで泊まった宿坊とは違い、まるでホテルのような鍵つきのお部屋だ。疲れていたのでよく眠れた。翌朝は6時から本堂でお勤めをし、朝食を食べて出発する。この薬王寺で、やっと徳島県23カ所「発心の道場」を巡り終えることになる。長かった!

(上)日和佐うみがめ博物館「カレッタ」
(右)金色の亀のモニュメント

鯖大師

その後知人に、四国霊場番外札所4番の「鯖大師」の駅前にある「さばせ大福」の大福餅がおいしいと聞いたので、「鯖大師」へ寄った。さばせ大福の大福餅は1個60円で安いうえに、やわらかくて、おいしかった。おいしい大福に満足した後、いったん打ち止めで家路につくため、徳島駅へ向かった。次回はいよいよ修行の道場といわれる土佐(高知)の札所へ移ります。まだまだ続くお遍路の旅、どうぞお楽しみに!