17番札所「井戸寺」でいったん札止め(そこの札所で巡るのを止めること)をして、東京に戻った私。再び続きを巡るためにまた17番札所にやってきた。17番札所から18番札所「母養山 恩山寺(ぼようざん おんざんじ)までは、徳島の町中を抜けて約20km歩くと約5時間もかかる。遠い。徳島に来たら、数年前の阿波踊り見物の際に食べたおいしい徳島ラーメンをまた食べたいと思っていた。でも、ラーメンを食べたら、今日泊まる予定の所までたどりつけないかも? それに白装束のお遍路姿でラーメンを食べるのは恥ずかしいかも? と思い、あきらめた。でも、途中でどうしても行きたかった「阿波の法隆寺」と呼ばれる「丈六寺」には寄ることにした。
丈六寺は、650年(白鳳元年)の創建と伝わる古いお寺。多くの宝物を所有している。観音堂に安置されている聖観世音菩薩坐像 (重要文化財)が、立てば1丈6尺(約4.8m)にもなることから、「丈六仏」といわれており、寺名の由来になっている。丈六寺は札所と少し外れた道にある。丈六寺に向かって歩いていると「お四国さん、札所の道はあっちですよ」と親切におばあさんが教えてくれた。四国では、お遍路で回っている人を「お四国さん」と呼ぶ。「ありがとうございます。丈六寺に寄りますので」とお礼を言って進む。
丈六寺は、さすが阿波の法隆寺と言われるだけでたくさんお堂があるが、かなり古くて痛んでいる様子。私以外に誰も訪れている人もなくひっそりしている。目的の、丈六仏が安置されている観音堂は境内の奥まった所にある。観音堂を覗き込むと大きな聖観世音菩薩坐像が見えた。すてき~。満足してまた元の道に戻り、18番札所「恩山寺」に向かう。
恩山寺は山道を登った先にある。途中、道を少し外れた所に古びた山門があった。そこから坂道を登ると大きな大師像が迎えてくれた。
この寺はもともとは女人禁制で、人々の災厄を除く道場だった。昔、この寺で修行している弘法大師のもとへ、大師の母親が讃岐(香川)から訪ねて来たのだが、女人禁制のため会えなかった。そのため、大師は母親のために、17日間滝に打たれ女人解禁の修行をおこなったとされている。その場所が赤い欄干の「母養橋」のたもとあたりだったそうだ。いろんな本に「今でも、寺に行く途中には女人禁制の登り坂(つるまき坂)がある」と書かれているが、お寺の方に聞いたら「それは昔の事で、今は誰でも通れます」とのこと。そもそも、私が通って来た細い遍路道がその女人禁制だった坂らしい。
その当時、弘法大師が植えたという毘欄樹(びらんじゅ)は、県の天然記念物に指定されている。樹皮が赤褐色で目立つ。母親は無事に大師と会うことができたことで、元の「大日山 密厳寺」から寺号を「母養山 恩山寺」へ改められたという。また大師の母親の玉依御前は、この恩山寺で髪を切り、出家したといわれている。その髪は、今も大師堂の隣り合わせに建てられている剃髪所に納められているらしい。
階段を上ると本堂がある。その階段の途中に大きなお地蔵様1体と小さなお地蔵様がたくさん並んでいた。摺袈裟(すりげさ)というお札が、恩山寺だけに伝わっている。摺袈裟とは、仏を表す梵字(ぼんじ)や仏の功徳を説いた言葉「陀羅尼(だらに)」を刷ったもの。亡くなった人のひつぎに入れて極楽浄土への旅立ちの祈願をしたり、お仏壇の中に入れて亡くなった方の供養に使うそうだ。納経所にて700円で売られていた。ちょっと高いからどうしようかと思ったが、私はここだけとか限定物に弱いので購入した。
階段を降りた所にある地蔵堂をのぞくとそこには、お釈迦様の十大弟子とお地蔵様がたくさん並べられていた。たくさんの仏像を見て満足して、次の札所19番「立江寺」を目指して山を下りた。