15番札所「国分寺」を出て約距離2.2km平坦でまっすぐでわかりやすい道を歩いて約45分で光耀山 観音寺(こうようざん かんおんじ)に到着。ここは塀のかわりに、「金五拾円 名前」などと彫り込まれた石柱が道路に面したところにたくさん並べられている。山門は古くておもむきがあるが、本堂は新しく建て替えられているのでピカピカだ。

お釈迦さまが立った跡だといわれる仏足石

本堂の前には、お釈迦さまの足の裏の模様が刻まれた仏足跡の石が置かれている。お釈迦さまには、「身体が黄金である」だとか「目が青い」とか人間とは思えない超人的な特徴32相というのがある。その特徴のひとつに「足の裏に模様がある」というのがある。お釈迦さまが立った石にその跡が残っているというのを表しているのが一般的に「仏足石」と言うのだが、あっちこっちのお寺で仏足石を見かける。

観音寺は、天平13(741)年に聖武天皇の勅願道場として創立。弘仁7 (816)年に弘法大師がここにいらして、等身大の千手観世音菩薩像を刻み本尊として安置されたそうだ。その後、ここもまた長宗我部軍の兵火により焼失して、万治2 (1659)年に藩主の蜂須賀公の支援により僧の宥応が再興した。

「観音寺」山門

「観音寺」本堂

境内には、岩に囲まれた「夜泣き地蔵」というお地蔵さんが祀られている。地蔵が夜泣くというのではなくて(私は一瞬そう思った……)、子どもの夜泣きに御利益がありお参りすると夜泣きが治るそうだ。願いが叶うと、お礼に赤いよだれかけを夜泣き地蔵に奉納するのが習わしとなっているそうだ。地蔵の周りの岩が苔むしていて渋い。

他にも境内には「阿波国総社 八幡総社両神社」とかかれた小さな神社が祀られている。ここの地名は国府町と言うのだが、昔、国の役人の国司が派遣された役所のような役割をする国府が置かれていたと言われている。実際、平成10(1998)年、ここから七世紀のものと思われる木簡が多量に出土したそうだ。

国司にとって、国府に着任して最初の仕事は国内の神社を巡って参拝することであった。平安時代になって、国を巡って参拝するのが大変なので国府の近くに神社をまとめた総社を設けたとされるが、その総社がここにあったと言われている。しかし、阿波国の総社だといわれているのは、ここ観音寺の近くに実はもうひとつある。それは、「府中の宮(こうのみや)」と呼ばれている大御和神社(おおみわ)だ。こちらのほうが正直、見た目は立派な感じがする。

「観音寺」大師堂

境内にある阿波国総社 八幡総社両神社

大御和神社

なぜか観音寺近くにある駅名は「府中」と書いて「こう」と読む。一説によると、江戸時代に「ふちゅう=不忠」に通じるのを嫌った徳島藩が、「孝」に通じるよう読ませたと言われている。

その大御和神社と府中駅を通って、次はここから歩いて約1時間くらいの17番札所「井戸寺」を目指す。

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