8番札所「熊谷寺」から9番札所「正覚山 法輪寺」(しょうかくざん ほうりんじ)を目指して歩き出しだすと、前方に一人のお遍路さんがさっそうと歩いている。よく見ると、昨日同じ宿に泊まった1人で来ている女性のお遍路さんだ。ちらっと振り向いたので向こうもこちらに気づいたようだったが、いっこうに歩く速度を落とす様子もない。できたらいっしょに歩きたかったが、あちらは1人で歩きたいのかもしれない。諦めて1人で進むことにする。
8番札所の熊谷寺から9番札所の法輪寺までは地図で見ると1本道で約2.5km、歩くと40分くらい。わかりやすそうだし坂道でもないし、と油断していたが、あちらこちらで見かけていたお遍路の道しるべが見当たらない。
とりあえず「前のお遍路さんについて行けばいいや」と気楽な気持ちで歩いていると、正しい道だったのかどうか不安になって来た。私の前を行くお遍路さんも実は自信があって歩いていた訳ではなかったらしく、あたりをきょろきょろしている。「間違っていたのかも!?」と思い、誰かに道を尋ねたかったが、歩いている人はいなく、たまに車がビューンと通りすぎるのみ。
「まずい、自分で考えて進まねば」と地図を取り出し、この道でいいのか検討する。う~ん、やっぱりこの道であっているような気もするし……。地図から目を離してふと前を見ると、さっきまで前方にいたお遍路さんが見あたらない。「あれ、消えた!?」と不思議に思いながら歩いていくと、右折をする道に先ほどのお遍路さんがいた。「えっ、ここ曲がらないと行けないの? 本当に?」と、曲がるべきかどうか悩んだが、今の道を進むことにした。実はこの選択は間違っていて、ここで曲がっていれば後で迷うことはなかったのだ(そもそも最初に二股に分かれていた道を左に進んでいたのが間違えだったのだが)。当然、そのときの私は知るよしもなかった。
ずんずん進んでも、一向にお遍路の道しるべも道路標識も見当たらない。焦った私は、ゆっくり走っている車の前に立ちはだかり、無理矢理車を止めて「あの~、9番札所ってどっちにいけばいいんですか?」と聞いた。
すると「9番札所?」とピンと来ないような返事が返ってきた。見当違いの場所にたどり着いてしまったのかもとますます焦っていると「法輪さんのことかいな?」と言われた。9番札所という聞き方がわかりにくかったらしい。
「そこの細い道をまっすぐ行って広い道にでたら、ちょっと左に行きまっすぐ行ったら田んぼの中に見えてくるよ」と教えてもらえた。このまま道を聞かずに進んでいたら通り過ぎてしまうところだったので、ちょうどいいタイミングで道を聞いたことになる。これも弘法大師のお導きかもしれない。よかった。
そうして、教えられた道を進んで行くと、田んぼの中に9番札所「法輪寺」はあった。私は迷ってようやく着いたので、ほっとして気が緩んでしまい、法輪寺では写真を撮るのをすっかり忘れてしまった。皆さんに写真をお見せできなくてごめんなさい。
ここ法輪寺は、四国八十八カ所霊場唯一の涅槃像が本尊の寺。涅槃像とはお釈迦様が80歳で亡くなられたときの横になられたお姿だ。弘法大師が刻まれたと伝わっている。秘仏だが5年に1度一般公開をしているそうで、次回のご開帳は平成23(2011)年2月15日だそうだ。3年後、忘れずに行かないと!
言い伝えでは、弘法大師が四国を巡られる時にこの地で白蛇を見つけられたそうだ。白蛇は仏様の使いであるのでここにお寺を建立し、「白蛇山 法淋寺」と名づけたのが始まりだそうだ。その後、寺は栄えて広い寺域を持っていたが、長曽我部元親軍の兵火で焼失してしまった(ご本尊は幸いにも焼け残った)。正保年間(1644~1648年)に、山号を「正覚山 法輪寺」に改めて、再建されたという。1859(安政6)年、ふたたび焼けて現在の山門や本堂は明治時代、大師堂は大正時代に再建されたそうだ。
法輪寺の山門には大きなわらじが奉納されてあり、本堂にもたくさんのわらじが奉納されている。なんでも昔、松葉杖なしでは歩けない人がこの寺に参拝に訪れ、松葉杖なしでも歩けるようになり、足が完治したという逸話が残っているのだという。そのため、お遍路さんが無事に歩ききれるよう健脚祈願のわらじが多数奉納されているそうだ。私も無事歩ききれるようにお祈りした。
次の10番札所切幡寺までは約5km。1時間以上も歩かなければ行けない。しかも切幡寺は山にあるらしいので、また坂道を昇らなければいけないと思うと憂鬱。でもお祈りもしたことだし、疲れて来たがなんとかがんばって歩こうと11番札所へと足を進めた。