パナソニック ホールディングスのグループCHRO(チーフ・ヒューマン・リソース・オフィサー)に、木下達夫氏が、2024年7月1日付で就任した。メルカリのCHROから転身した木下グループCHROは、「パナソニックグループの成長の阻害要因は、新しいことに挑戦するハードルが高くなっている点にある。社員のポテンシャルをUNLOCKしたい」と抱負を述べた。
木下氏は、1972年11月、東京都出身。実父は電機メーカーに勤務し、電話機、FAXなどの開発者だったという。「幼少期から工場やラボに連れて行ったもらったことがあり、電機メーカーには愛着がある。パナソニックグループ入りの話をもらって最初に相談したのが父であり、この挑戦の背中を一番押してくれた」と語る。
また、自らを「冒険好き」と語り、世界一周を2回、世界69カ国を訪問した経験の持ち主だ。「旅が好きなのは、各国の文化や人から刺激を受けることが多いからである。知らないところに身を置くことが大切である。だが、人が思う気持ちは全世界一緒であるということも学ぶことができた。ダイバーシティの経験をするほど、普遍的な人間の根っこの部分に気づかされる」と述べた。
1996年に慶應義塾大学商学部卒業後、P&Gジャパンに入社し、HRBP(HRビジネスパートナー)としてキャリアをスタートしている。現在、パナソニックのグループCIOである玉置肇氏がP&Gジャパン時代に、玉置氏が所属する情報システム部門の人事を、木下氏が担当していた経緯がある。今回の木下氏のパナソニックグループ入りも、玉置グループCIOの推薦が発端だったことを明かす。
P&Gジャパンで5年間勤務したあとに、GEインターナショナルインクに移籍。日本法人だけでなく、北米やタイなどで海外勤務を経験したほか、プラスチック部門や金融部門、石油プラント関連部門など、複数の事業部門で人事責任者を歴任した。GEが買収した旧長銀リース(現三井住友ファイナンス&リース)では、日本企業らしい体質のなかで人事部長を務め、改革を進めていった。
「GEは、リーダシップ育成に長けた会社である。17年間に渡ってそれを学ぶことができた。組織にいる人たちが、高いモチベーションと満足度を持って仕事ができるように努力してきた。リーマンショックでは人員削減も担当したり、アジア全体のエグゼクティブ育成などにも関わったりすることができた」と振り返る。
2018年にメルカリにCHROとして入社。「長年、外資系企業に勤めてきたが、日本企業の役に立ちたいと考えた。日本のスタートアップ企業が、メガベンチャーに育つなかで、海外のエンジニアを積極的に採用し、働きやすい環境を整えた。いまではエンジニアの半数が外国籍であり、50カ国から採用している。GAFAMと対抗してエンジニアを採用してきたが、その際に、GEやP&GでのHRの経験が生きたと考えている」という。
パナの課題は、日本企業の課題
木下グループCHROは、「パナソニックグループ入りした理由は、『悔しさ』、『揺るぎない軸』、『パナが変われば日本が変わる』の3点である」とする。
ひとつめの「悔しさ」については、次のように語る。
「パナソニックグループは素晴らしいポテンシャルがあるが、いまは業績や株価が厳しい状況にある。バブル世代の社員からは、自分が入社したときが一番元気だったという声も聞く。その状況を悔しいと思っている社員が多く、新たな未来を創るために本気で変わりたいという意思を感じた。グループCEOの楠見は、UNLOCKという言葉を使っているが、阻害要因を無くすことで、一人ひとりの力が解き放たれれば、大きなことを成し遂げられる」とする。
また、「事業領域が広く、世界中に展開している。その代わりに階層もあり、プロセスが複雑で、大規模な組織である。そのため、変化を加えようと思っても、浸透に時間がかかる」としながらも、「事業会社制の導入により、いい変化が起きている。ここまでやっているのか、と感心することも多い。数年で雰囲気の変化が生まれている。だが、変化の炎は、局所的なものであり、きざしのレベルである。これをより大きな炎にしていかなくてはならない。私に対する期待値はそこにあると感じている」とした。
2つめの「揺るぎない軸」については、「入社して約3週間を経過したが、パナソニックグループの軸の強さを身に染みて感じている」と発言。綱領、信条、7精神に代表されるパナソニックグループの軸となる言葉や精神が、社内に浸透していることについて触れながら、「軸があることは、軸をベースに変えられるということである。P&GやGE、メルカリは、それぞれにユニークな企業文化や企業哲学がある。その軸をベースに進化を経験してきた」と述べ、企業変革において、軸があることの大切さを説く。
3つめの「パナが変われば日本が変わる」という観点では、「大きなスケールを持ち、素晴らしい製品を持ち、世界中にファンがいるパナソニックグループが変われば、日本が変わると考えた。パナソニックグループが直面している問題は、日本の優良企業の多くが持つ課題と同じである。パナソニックグループが変革し、進化できた事例を示せれば、日本の社会にとってもインパクトがある。そこでお役に立ちたい」とした。
木下グループCHROは、「社員のポテンシャルをUNLOCKしたい」と語る。
この言葉は、2024年1月に、楠見雄規グループCEOが社員向けて発信した年頭メッセージのなかで使われていたものだ。
木下グループCHROは、「創業時には、社員がいろいろなことに挑戦して、新たな製品やサービスを生み出していった。それによって、暮らしを変えてきた。まさにポテンシャルがUNLOCKされていた状態だった。これをもう一度、事業会社制で、どう実現するかといったことに、一緒に取り組みたい。パナソニックグループは『物と心が共に豊かな理想の社会』の実現に向けて企業活動を進めており、プリンシプルベースの会社への変革を加速させている。経営基本方針に基づく行動を言語化し、これを高いレベルで実践できることを目指す。経営基本方針を実践すれば、結果として、UNLOCKされることになる」と語る。
パナソニックグループの成長の阻害要因についても指摘する。
「新しいことに挑戦するハードルが高くなっている。失敗を恐れたり、長年の積み重ねがあるなかで、違うものを出していいのか、挑戦してもいいのかという葛藤が感じられたりする。それを打破するために大切なのは、背中を押すことである」
在籍していたメルカリを振り返りながら、「スタートアップ企業であり、挑戦する企業風土があると思われているかもしれないが、それでも、新しいことに挑むには勇気がいる状況には違いがない」とし、「言われたことをそつなくこなすことが、前提となっていては、モチベーションは上がらない。自分から、新たなことを仕掛けられる環境が必要である。そのために大切なのは、お互いに押し合うことである。まずは、他の人の挑戦を見て、それを自分もやってみたい、やってもいいと思い始めることが大切である。私は、そうした社員の提案や改善活動、プロジェクトが仕掛けられることを後押ししたい。いまのパナソニックグループには、その兆しが現われている。行動変容が始まっているが、全体には浸透していない状態にある」と、いまの状況を分析する。
また、「新たなことに挑戦するための制度は、各事業会社が工夫している。だが、制度は運用が8割であり、それによって魂を込めることができる」とし、「まずは、ビジネスリーダーが実践しなくてはならない。また、新たな挑戦した人を評価することができる仕組みがあり、評価された人が登用されて、周囲にいい影響を与えることが重要である。さらに、行動変容ができていない場合には、それをフィードバックできる仕組みが必要である。これが運用であり、ここまでの仕組みを浸透させなくてはならない」とする。
木下グループCHROは、パナソニックグループが持つポテンシャルをUNLOCKするために、人事制度において、どんな原理原則を持つべきなのかを、今後、事業会社のHR責任者とともに議論していくという。
「一緒に詰めて、解像度をあげて、明文化したい。プリンシブルは共通化するが、専鋭化につながるところは事業会社が決めていくことになる」という。
その上で、「経営基本方針では、多様性を強みにすることが盛り込まれているが、パナソニックグループは、まだ多様性を十分に生かし切れていない。だが、キャリア採用が増えており、いまは、キャリア採用比率が6割になっている。様々な会社の知見を持ち込むことができ、内向き志向が改善されることになり、イノベーションを起こせるきっかけにつながる。CHROとして、これを後押ししたい」と語った。
芽生えた変化のきざし
木下グループCHROは、「パナソニックグループのなかでは、変化が起きつつある」と語る。そして、「大規模な企業なので浸透に時間がかかるが、変化のきざしは感じることができる」とも語る。
たとえば、有志によって自主的な活動をしているERG(Employee Resource Group)では、DEIフォーラムを開催し、先ごろ、アンコンシャスバイアスについて議論。そこでは「アンコンかるた」を用いて、女性などへのラベリングといった観点からのアンコンシャスバイアスに留まらず、成功体験や失敗体験をもとにしたアンコンシャスバイアス、ルールによる規制や前例がないことによって生まれるアンコンシャスバイアスなどについても議論していたという。
「前例がないからやらないということが、社内で起きているのではないかという話が出ていた。ルールがあってできないということについても、ルールそのものが時代遅れになっているかもしれない。それならばルールを修正したり、無くしたりという考え方も必要だという話もしていた。さらに、『普通はやらない』という言葉についても、『普通』とは何か、『普通』という捉え方も、いまと昔、あるいは未来では違うのではないか、『普通』の定義を変えていく必要がふるのではないかという話もあった。パナソニックグループが抱えている課題には、思い込みが障壁になったり、それに捉われたりしていることが多い。思い込みから解放することがUNLOCKにつながる。変化のきざしの火が、大きな炎になることを期待している」とした。
また、社内SNSを通じて、自己紹介をしたところ、多くの社員からコメントが返ってきたことにも驚いたという。「組織や階層に関係なく、様々な社員から返事をもらった。シリコンバレーのテックカンパニーでは当たり前のことだが、これがパナソニックグループでも普及しつつある。いいきざしだと思っている。オープンで、フラットで、誰でもコンタクトできる文化があり、パソナニックグループが変わりつつあることの象徴である。うれしいびっくりである」とした。
一方で、木下グループCHROが、こんなことを語っていたのが印象的だった。
「パナソニックグループは、創業者の松下幸之助氏の時代から、HRを大切にし、経営者の片腕に位置づけてきた。ガバナンス機能としても作用しており、人事部門の人材は、専門性を持ってキャリアを歩んでいくことになる。これは、GEと似ているところがある。GEでの経験を活かすことができると思っている」とし、「GEのHR出身者が、GE HRマフィアと呼ばれるが、将来は、パナソニックグループのHR出身者が、いろいろな企業で活躍するようなマフィアが生まれるようにしていきたい」と語った。
パナソニックグループのHR部門が、日本の企業のHRのお手本になるようにすることも、木下グループCHROのひそかに掲げた野望のひとつと言えそうだ。