日立製作所が産業アナリストなどを対象に開催した「Hitachi Investor Day」において、同社の小島啓二社長兼CEOが、最新テクノロジーとして注目を集める「生成AI」への取り組みや、先ごろ、量子コンピュータの新たな技術として発表した「シャトリング量子ビット方式」などについて言及した。

  • 日立の「生成AI」と「量子コンピュータ」、独自性や技術追及よりも社会実装

    日立製作所の小島啓二社長兼CEO

独自の生成AI開発よりも、パートナーシップが重要

「生成AI」について、小島社長兼CEOは、「日立自らがスクラッチで生成AIを作ることは考えていないが、主要なプレーヤーが持つ大規模言語モデルに、日立が持つ固有のコンテンツをマージして、特徴のある生成AIを提供していくことになる」と述べた。

そして、まずは社内での生成AIの利用を促進し、その成果をもとに生成AIを活用した提案を進めていく考えも示した。

日立製作所では、生成AIの社内外での利用を促進する専門組織として、「Generative AIセンター」を2023年5月15日に新設した。

同センターは、生成AIに関する知見を持つデータサイエンティストやAI研究者のほか、社内IT部門やセキュリティ部門、法務部門、品質保証部門、知的財産部門などから、業務のスペシャリストを集結し、社内での生成AIの活用を推進することを目指す。

  • 生成AIの専門組織として「Generative AIセンター」を新設

具体的には、日本マイクロソフトのAzure OpenAI Serviceなどを活用するとともに、社内利用を促進する「Generative AIアシスタントツール」を整備。2023年5月末から、日立グループの32万人の社員が様々な業務で生成AIを利用し、業務の効率化や生産性向上につなげることになる。Generative AIアシスタントツールでは、社内における議事録の自動生成や、システム実装におけるローコード/ノーコード化を推進することができるという。

日立の小島社長兼CEOは、「生成AIは人間の知的活動を置き替えていくことができる」と期待を寄せる。

社内利用の開始にあわせて、生成AIの利用に関する様々なリスクを複合的に考慮した「業務利用ガイドライン」を、4月末に第一版として発行。さらに、社員向け相談窓口を設置して、ガイドラインではカバーが難しい問い合わせや相談にも対応するという。

さらに、2023年6月から、生成AIの先端的なユースケースや価値創出を支援するコンサルティングサービスの提供を開始。Azure OpenAI Serviceと連携した「環境構築・運用支援サービス」も提供を開始しており、生成AIの安心安全な利用環境の実現を支援することになる。

日立製作所 デジタルシステム&サービス統括本部長の徳永俊昭副社長は、「Generative AIセンターの発表後、すでに100件を超える問い合わせをお客様からいただいている。社内への生成AIを使用する環境づくりの支援や、生成AIを業務に適用するためのコンサルティング支援などの要望が出ており、問い合わせ内容は幅広い」とする。

  • 日立製作所 デジタルシステム&サービス統括本部長の徳永俊昭副社長

その上で、「まずは、Generative AIセンターが中心となって、生成AIの活用を加速し、日立社内のあらゆる業務の省力化、自動化を推進していくことになる。試算では、業務を30%効率化できることがわかっている。社内活用の実績を積み上げて、日立ならではの生成AIの活用方法を、お客様に提案していきたい」とする。

また、日立製作所 デジタルエンジニアリングビジネスユニット Data & Design本部長の吉田順氏も、「日立グループでは、生成AIの社内利用を禁止するのではなく、積極的に活用する方針である。社内での生成AIの利活用を推進し、それをもとに、Lumada事業での価値創出の加速と、生産性向上を実現する」と語る。

  • 日立グループ内での生成AIの業務利用シーンのイメージ。「日立グループでは、生成AIの社内利用を禁止するのではなく、積極的に活用する方針」という

すでに日立グループ内では、Teamsの音声認識スクリプトなどから議事録を自動生成し、「私」や「僕」の呼称を発話者の名前に変換するといった日立の独自技術を組み合わせたAI利用を行っているほか、学習データに含まれる攻撃性をAIが学習して、人種やジェンダー、宗教など、カテゴリーごとに攻撃的な応答を抑制するモデルを作成。対話システムにおいては、会話履歴と業務文書から機械読解技術 (MRC) を用いて、企業ニーズに求められる正しい回答を生成するといった取り組みを行っている。また、画像生成では、設備の損傷や故障の確認作業において、顧客の仕様や要件にあわせた検出を可能にしたり、社員が利用するパワーポイントや特許の明細書の図面作成に生成画像を活用したりといった取り組みを進めているという。

  • 生成AIによる議事録の要約

  • 設備の損傷や故障の確認作業に画像生成AIを利用

さらに、日立製作所では、2020年4月に設置したLumada Data Science Lab.を中心に毎年100件以上のAIおよびデータアナリティクスを活用したプロジェクトを推進してきた経緯がある。2021年2月には、「AI 倫理原則」を策定し、外部有識者によるAI倫理アドバイザリーボードの助言を受けて、2年間で500件以上のプロジェクトを評価。プライバシーや倫理の観点からも、AIに関する事業支援とガバナンスの継続的な改善に取り組んでいる。

こうした日立グループでのAI活用の実績と、生成AIの社内実践が結ぶつくことで新たなソリューションを提案。同時に、生成AIの活用に関する情報漏洩や著作権侵害、プライバシー侵害などの様々なリスクにも対応していくという。

日立製作所 デジタルシステム&サービス統括本部 CTOの鮫嶋茂稔氏は、「日立が独自に開発したAIがミートするところにはそれを活用し、マイクロソフトやスタートアップ企業などのパートナーの技術との組み合わせが最適なところにはそれを適材適所で提案したい。日立独自の技術を組み合わせることが差別化になると考えている」と語っている。

2023年4月に設置したデジタルエンジニアリングビジネスユニット(BU)では、生成AIの利活用を支援するコンサルティングサービスを提供し、クラウドサービスプラットフォームBUでは、Azure OpenAI Serviceと連携した「環境構築・運用支援サービス」を提供することを発表。日立独自の技術や利用ガイドラインと組み合わせることで、生成AIをLumadaに取り込み、上流から実装、運用までのエンドトゥエンドで価値創出サイクルを回していくことになる。

小島社長兼CEOがいうように、日立は独自に生成AIを開発する考えはない。

「日立の生成AIへの取り組みは、大規模言語モデルを持つ主要なプレーヤーとのパートナーシップが重要になる」と語る。

それを補足するように、徳永副社長は、「お客様業務における安心安全なAI活用を支援するとともに、OTドメインナレッジを学習した日立ならではの大規模言語モデルを強みにして、お客様の経営課題の迅速な解決を目指す」と語る。

一方で、小島社長兼CEOは、「生成AIの大きな課題は、データセンターをフル稼働させ、多くのエネルギーを消費してしまうことである。一人の労働者の代わりに、生成AIを社員として使うと、かなりのエネルギー消費になってしまうと予測している。今後は、エネルギー問題を解決できる省エネのプロセッサが必要である。生成AIの登場は、半導体産業を活性化することにもつながる」とも指摘した。

量子コンピュータの実用化に大きな一歩

一方、日立製作所が発表した新たな量子コンピュータ技術である「シャトリング量子ビット方式」は、量子ビットの効率性が高い制御を可能にするもので、同社が進めているシリコン量子コンピュータの実用化に向けて、大きな一歩を踏み出す可能性があるものだ。

一般的に、量子コンピュータの実用化においては、100万量子ビット以上の大規模集積化と、誤り訂正の実現が鍵になる。シリコン量子コンピュータは、各社が推進している超伝導型量子コンピュータに比べると、大規模化には有利だが、その一方で、量子ビットが固定した場所に設置され、すべての量子ビットで演算や読出し回路を接続する必要があること、隣接する量子ビットの間でクロストーク(エラー)が発生することなどが、大規模集積化を阻む要因となっていた。

シャトリング量子ビット方式では、演算や読出しなどの制御を行う領域をあらかじめ設定し、その間で量子ビットを自由に移動させることが可能となるため、すべての量子ビットに演算、読出し回路を接続する必要がなくなる。また、シリコン素子の配線構造を簡略化するとともに、隣接する量子ビットを退避させて演算を行うことで、クロストークの影響も抑制することができる。

  • 量子ビットを効率よく制御可能な「シャトリング量子ビット方式」

先に触れたように、シリコン量子コンピュータは、成熟技術である半導体技術を活用することができ、量子ビットの大規模集積化に有利な方式であり、日立製作所の小島社長兼CEOも、「シリコンをベースにしているため、、超伝導方式よりも、多くの量子ビットを作ることができる」と、大規模化に優位であることを強調する。

日立製作所では、これまでにも、シリコン量子ビットを格子状に配列させることで集積化を可能にする「2次元シリコン量子ビットアレイ」を開発し、実用化に向けた取り組みを加速してきた。また、アレイ内の電子が移動可能であるという事実を捉え、その原理実験にも成功していた経緯がある。今回の取り組みは、量子状態を維持しながら移動(シャトリング)させることができれば、量子ビットの演算、読出しなどの制御に新しい可能性をもたらすことができることに着目し、新たな制御方法として「シャトリング量子ビット方式」を提案。効果をシミュレータで検証したという。その結果、クロストークの影響が甚大となる大規模な量子演算において、シャトリング量子ビット方式では、量子ビットを固定した従来方式に比べて、高い量子計算精度を維持できることが確認できたという。さらに、量子ビットを移動させることによって任意の量子ビット間で演算することが可能となり、誤り訂正機能の実装容易化も期待されるという。

さらに、日立製作所では、量子コンピュータの制御に適した「量子オペレーティングシステム」に関して、自然科学研究機構分子科学研究所の大森賢治教授らの研究グループと共同で、2023年4月から、研究活動を開始したことも発表。これも、大規模集積化に向けた研究を加速し、量子コンピュータの早期実用化につながるという。

具体的には、冷却原子量子コンピュータとの共通点に着目した量子オペレーティングシステムの共同研究を通じて、量子コンピュータの実用化を加速。量子コンピュータを活用する顧客が、大規模なデータを活用して、新材料や新薬の開発などのイノベーションを創出することに貢献できるという。

小島社長兼CEOは、「量子コンピュータと最も親和性が高いのは、自然現象や物理的世界のシミュレーションである。新材料の探索などの物理的な世界において、いままでのコンピュータにはできないレベルでシミュレーションをしたり、探索をしたりすることができるのが量子コンピュータの特徴である」とし、「日立製作所は、量子コンピュータを作りたいとか、量子コンピュータだけで商売をするという気持ちはない。ソリューションを作るために、量子コンピュータを開発している。たとえば、材料を開発する企業と、協創する際に提供できるテクノロジーのひとつとして量子コンピュータを開発している」と、同社の量子コンピュータに対する基本姿勢を示す。

そして、「いまは、多くの量子ビットをハンドリングできるものがない。そこで、基礎研究を、様々な研究機関と一緒になって取り組んでいる。だが、目的としているのは社会課題の解決である。いいものが出てくれば、いまの技術にこだわらず、それをどんどん使っていく。日立のスタンスは、アプリケーションサイドであり、その姿勢で量子コンピュータに取り組んでいく」と、基本スタンスを繰り返して強調した。

話題を集める生成AIも、今後の実用化が期待される量子コンピュータも、技術そのものを徹底して追求するよりも、いい技術があればそれを採用し、そこに日立ならではの独自性を加えながら、最終的にはソリューションやアプリケーションによって、社会課題を解決するという点が、共通スタンスだといえる。

社会イノベーション事業を主軸とする日立製作所を象徴する新たなテクノロジーへの向き合い方ともいえそうだ。