パナソニック知財――。パナソニックグループでは、知的財産部門をこう呼ぶことにしたという。
パナソニックホールディングス 技術部門知的財産部の德田佳昭部長は、「これまでの知財部門は、知財によって競争優位性を守ることが中心であり、権利を使い、場合によっては他社を排除することに知財を用いてきた。だが、その考えを転換し、必要な人たちに使ってもらい、必要な人たちが活用することで、より大きな価値を生み、社会課題の解決につなげたい」と述べ、「その姿勢をもとに、パナソニックグループの枠を超えて、社会に対して、知財戦略を仕掛けていきたい」と語る。
「パナソニック知財」という新たな名称を付けたのも、こうした大きな方針転換が背景にある。2023年度には、技術インデックスを社外に公開したり、脱炭素への取り組みを推進するGreen IP Networkを開始したりといった計画もあるという。「パナソニック知財」の取り組みを追った。
時代とともに変化する知財戦略
パナソニックグループの知財部門は、パナソニックホールディングスの技術部門に属する知的財産部のほか、7つの事業会社にそれぞれ設置されている知財部門、スタッフ部門などで構成されるパナソニックオペレーショナルエクセレンスにある知的財産センター、特許の出願から権利化、活用までの知財業務を行うパナソニックIPマネジメントで構成される。
これまでにパナソニックグループが持つ特許権や実用新案、意匠権などの産業財産権は、約10万件に達するという。
知財戦略は時代とともに変化してきている。
1970年代から90年代までは、白物家電を中心とした事業活動が成長するなかで、知財活動についてもこれらの領域にフォーカス。事業の優位性確保と、事業上の安全性確保など、開発成果の権利化による事業防衛の意味合いが大きかった。
だが、2000年を前後したデジタル化の進展とともに、標準化技術が台頭。標準化による市場形成といった要素が増加してきた。また、2010年以降は、インターネットが広く普及し、異業種企業との競争といった新たなフェーズを迎えたことで、知財に関する考え方が変化。コンソーシアムを主体とした知財の適正活用など、新たな知財エコシステムが生まれてきた。そして、2020年以降は、AIやIoTなどデータ活用が促進される一方、共創のなかで知財を活用するといった流れが生まれてきた。
このように、パナソニックグループを取り巻く事業環境の変化が、今回の知財戦略の変化につながっている。
パナソニックグループは、2022年4月から事業会社(持ち株会社)制へと移行。7つの事業会社は、事業の専鋭化を進める一方、持ち株会社であるパナソニックホールディングスによって、グループ全社視点での事業支援と、成長戦略の推進を担う体制となっている。それに伴い、知財部門の役割は、グループ全社の視点と事業会社の視点の双方から、無形資産をマネジメントし、知財の活用を、事業の優位性と事業の安全を確保するという2つのスコープに加えて、新たな貢献として、社会的価値の創造という領域にスコープを拡大することを決定した。また、それにあわせて、パナソニック知財のパーパス(存在価値)を制定。「無形資産を巡らし、価値に変えて、世界を幸せにする」ことを掲げることにした。
パナソニック知財の取り組みは「知の水道哲学」
パナソニックホールディングス 技術部門知的財産部の德田佳昭部長は、「このパーパスは、30代、40代の社員が考えたものである。最初は、大きな違和感があり、本当にこれが、パナソニック知財が進むべき方向なのかといったことを、何度も繰り返し議論した」と明かす。
これまでのパナソニックグループの知財部門の取り組みは、知財によって事業の優位性や安全性を「守る」ことが中心であり、そのために権利を「使い」、場合によっては他社を「排除」することに、知財を用いてきた。その観点からすれば、知財を広く循環させ、世界の幸せにつなげるという、30代、40代の社員が提示した新たなパーパスの考え方は、大きな違和感があったのは当然のことだっただろう。
だが、議論のなかで、パナソニックグループを取り巻く大きな環境変化を捉えたり、知財に対する世の中の位置づけが変化したりする一方、不変といえるパナソニックグループの経営理念に立ち戻ったときに、このパーパスこそが、パナソニック知財の方向性を示すものであることが、腹落ちする結果に至った。
たとえば、パナソニックグループの経営理念の照らし合わせると、創業者である松下幸之助氏が語っていた「企業は社会の公器」であるとの言葉や、水道の水のように低価格で良質なものを大量供給し、物心両面の豊かさの実現を目指す「水道哲学」は、知財戦略を見直す上で重要な要素となった。
実は、パナソニックには、ラジオが普及した昭和初期に、特許にまつわる有名なエピソードがある。、当時、ある人物がラジオの重要部分を特許として申請していた。だが、この人物は、米国の特許を読み取って、先に日本で特許を申請するという人物であった。その結果、日本のすべてのラジオメーカーがラジオを生産する際に特許に抵触することになっていた。松下幸之助氏は、日本のラジオ業界の発展のためには、この状況はよくないと考え、法外な値段であったものの、これを買い取り、さらにこの特許を無償で公開したのだ。業界の発展のために特許を活用するという姿勢は、約100年前からパナソニックグループに息づいているものだ。
パナソニックホールディングスの德田部長は、「パナソニック知財の新たな取り組みは、社会の公器や水道哲学の実践につながる。『知の水道哲学』を実現する必要がある」とも語る。
こうした考え方に立脚して、パナソニック知財は、新たなパーパスを制定した。さらに、その上で、立場が違う様々な人たちが知財やアイデア、デザインなどの無形資産を活用できる「共有知」、様々な無形資産を社会に巡らせていく「知の循環」、多様な無形資産同士をつなげていく「ネットワーク創造」の3つの取り組みを開始することも示した。
「社会課題を解決するためには、知的財産だけでなく、アイデア、デザイン、ブランド、ノウハウ、データといった無形の資産が数多く存在し、それらの無形資産のすべてを扱うことが大切である。ただ、保持しているだけでは価値が限られたものになる。必要な人たちに使ってもらい、必要な人たちが活用することで、より大きな価値を生み、社会課題の解決につながる。無形資産を巡らせることが大切である。そして、ここで生まれたネットワークそのものも無形資産になっていく。同じ志を持った人たちとつながることで、世界を幸せにすることができ、世界を幸せにすることで、私たちの幸せにもつなげることができる」
パナソニック知財の新たな方向性を検討するなかで、パナソニックホールディングスの德田部長は、「いま、私たちが生きている世界は幸せなのか」と自問自答したという。そして、「これが、パナソニック知財が最も問いかけたかったことだ」とも語る。
「コロナ禍や環境問題、経済安全保障の問題をはじめとして、社会課題が複雑化、多様化するなかで、不幸ではないにしても、幸せなのか、という不安がある。また、存在感がある国が自国第一主義を打ち出すなど、共存共栄の精神の欠如による社会の分断もある。これが、私たちがたどり着いた課題認識である。パナソニック知財は、ひとつの企業のひとつの部門であり、できることは限られている。だが、世界は幸せにするという観点から、無形資産を活用していく仕組みを作ることが大切であると考えている」と述べた。
社会課題の解決へ貢献する知財戦略
パナソニック知財では、これまでの行動を、4つの観点から変えていくという。
それは、活動起点、仕える先、扱う資産、役割であり、これらを「リデザイニング(再設計)」すると表現した。
ここでは、事業課題を起点にするのではなく、社会課題を起点にすること、パナソニックを主語とするのではなく、社会を主語とすること、狭義の産業財産権から、広義の無形資産に広げること、役割を管理するプロからネットワーク創造のプロに転換することを打ち出した。
「行動を変えることで、無形資産を共有値として集約し、パナソニックグループ内で、これを活用した新たなプロダクトのサービスの開発につなげていく。また、社会的価値を最大化するだけでなく、社会からのフィードバックによって新たな共有値が集まるという循環を構築することで、世の中で活用できるより大きな共有値の実現につながる。この結果、パナソニックグループだけでは考えられなかった新たな取り組み、新たな解決策が創出され、世界の幸せが実現することができるようになる」と、新たな行動によって生まれる成果を期待する。
パナソニック知財では、リデザイニングによる取り組みを2つの例として紹介した。
ひとつは、パナソニックグループ向けの技術インデックスの提供である。
パナソニックグループが保持する知財を、社員が閲覧したり、検索できたりする仕組みをイントラネットに構築。2022年4月から利用できるようにした。これにより、新たな技術や製品、サービスを開発している社員が直接、パナソニックグループの無形資産を確認できるようになったという。システム登録者数はサービス開始からの4カ月間で1.6倍に増加。システム閲覧回数は年間9,600回の規模に達しており、2023年度には年間2万回にまで増やしたいという。
技術インデックスの活用により、新規事業開発によるマッチングの事例も生まれている。家庭内のウェルビーイングをテーマとしている事業部門が、まったく異なる事業の技術開発部門が持つセンサーやコミュニケーションロボット関連技術を活用し、新たなサービスの創出につなげようとしているという。
「これまでは専門性が高く、旬な技術者につながるのに時間がかかっていたものが、相談したい技術者とすぐにつながることができるようになったという声が社員から出ている。社内のイノベーションを後押しできている」と、手応えを示す。
もうひとつは社外への活動だ。ここでは、シンガポールでオープンイノベーションハブの活動に取り組んでいる例を示す。2019年に、パナソニックグループが保有していた、人の血液を採取し、DNAを解析。病気を診断できる医療技術を、同ハブを通じて、シンガポールのテマセク工科大学に提供。養殖魚の病気診断検査システムを開発し、これにより、食糧自給率を高めることに貢献しているという。
「パナソニックグループでは、医療領域への事業展開には限界があり、いわば、お蔵入りしていた技術だった。だが、テマセク工科大学は、この技術を魚に応用して、社会課題の解決につなげようと考えた。残念ながら、事業化にはつながらなかったが、パナソニックグループのなかでは思いつかない活用によって、社会課題が解決できることが理解できた」とする。
このオープンイノベーションハブの仕組みを用いて、現在、パナソニックが持つにおいセンサーに関する特許やノウハウを、シンガポールのスタートアップ企業が活用。人ではわかりにくいドリアンの食べごろを検知するサービスを開発しており、フードロス問題の解決にもつなげていくという。
パナソニック知財では、新たにPanasonic IP Innovationプロジェクト(仮称)をスタートする計画を明らかにした。
プロジェクト名の「IP」の部分には、Intellectual Property(知的財産)ではなく、Intangible Property(無形資産)の意味を持たせているという。
このプロジェクトを通じて、現在、パナソニックグループ向けに提供している技術インデックスを、2023年度の早いタイミングに、社外にも公開する予定であることを公表。保持する技術などを活用して、社外のパートナーとの連携により、社会課題の解決につなげる活動を加速する。
「パナソニックグループが持つ無形資産の情報を検索しやすくし、活用してもらいやすい環境を構築する。特許情報の検索は、キーワードの選定などが難しいが、文系の人でもたどり着きやすいような工夫をしている」とし、「どんなニーズがあるのかは手探りであるが、各事業会社と話し合いをしながら、できる限り見える状態にすることで、社外での活用を促進したい。無形資産に興味を持ってもらえたら、まずはパナソニック知財が窓口となって、事業部門につなぎ、個別の条件などについて話をしていくことになる」とした。
また、無形資産を活用した脱炭素への取り組みを推進するGreen IP Network(仮称)も開始するという。
「脱炭素に向けた仕組みの構築は、喫緊の課題だが、それを利用している人たちだけが恩恵を受けるのではなく、脱炭素に関する無形資産を提供した人たちにも、インセンティブを与えられる仕組みが必要であると考えた。この仕組みの構築とともに、関係者とのネットワークづくりも推進する。パナソニックグループが持つ無形資産を中心にした活動ではなく、様々な企業が保持する無形資産も活用していくものになる。これにより、脱炭素の仕組みがより早く社会実装されることを期待している」と述べた。
パナソニック知財という新たな名称を冠したことで、その活動は、大きな転換点を迎えたといっていい。新たな活動によって、社会課題の解決への貢献が加速することを期待したい。