日食の前に蒸気機関車を見るのだ。

中国、上海近郊の浙江省嘉興市に皆既日食を見に行った。嘉興市は上海市の中心部から南西約90kmに位置し、ちまきで有名な都市である。日食については、すでに「皆既日食負け組報告 - 上海の空を覆う厚い雲間から一瞬見えた糸状の太陽」という記事があるので、そちらを参照していただきたい。

浙江省嘉興市で見た日食

おもしろいのが、同じ嘉興市でも、同記事の地区の方が太陽が出た時間が長いこと。さらに、上海市中心部から約60km南南西にある上海市金山区では、皆既状態に近い時間に太陽が出ていたらしい。また、上海から約400km北西の安徽省や、嘉興市の南西約100kmの浙江省杭州市では皆既日食が見えたということで、7月22日中国では、悲喜こもごもの日食劇が繰り広げられていたということになる。

上海で、思わずほろりとさせられたのは、日食が終わった翌日、元上海北駅にある上海鉄路博物館で目撃した「最後に思い出ができてよかったね」と小学生の子どもを慰める日本人旅行者であるお母さんの言葉。思わず「がんばるんだぞぅ! 」と励ましたくなりました。まあ、小学生ならば、これからもチャンスはあるでしょう。私はもうお先真っ暗、「心のなかも財布の中身も、皆既日食」ってな感じですから……。とりあえずイースター島貯金始めました。1日300円……(次の皆既日食は2010年7月イースター島で見られます)。

ところで、今回の旅の楽しみは日食だけではない! 約10年ぶりの上海の街を散策するのはもちろんのこと、なんといっても、上海から行く山東省蒸気機関車撮影の旅。7月19日の夜、夜行で出発し、20日の夜に上海に戻っていくというハードスケジュール。さ、蒸気機関車の旅の始まり始まり。

上海南駅から夜行で出発

今回目指したのは、山東省のエン州駅。エンは「六」の下に「ム」を書いてその下に「儿」(ひとあし)を書く(六の下に、兄を書く表示も見る)。エン州市は中国でも有数の石炭の産地で、興隆庄鉱をはじめ近代化された炭鉱が多いことで有名だ。中国株に詳しい方ならば、エン州煤業(1171)という名前を聞いたことも多いだろう。今年の3月には、オーストラリアの鉱山会社を買収するのでは、というニュースが報道されたくらい、石炭大手会社である。

このエン州駅から車で約1時間南方に行ったエン州煤業線の「大東章」を中心に、中国で一番大きい「前進」という蒸気機関車が今も動いている。今回はひとりでエン州駅まで行き、駅でガイド役のドライバーと合流し、蒸気機関車を撮影したあと、またエン州駅まで戻り、新幹線CRH「和階号」で上海に戻って来る旅だ。

上海南駅から杭州駅始発済南駅行きの「T178次」の硬臥(二等寝台)に乗る。"T"とは日本でいう特急にあたり、切符には「新空調硬座特快臥」と書いてある。上海南駅を20:23に発車し、エン州駅には、翌朝5:51に着く。

上海南駅。2006年7月開業の新しい駅だ

駅に入るためには、まずは赤外線の荷物検査を受ける(荷物検査を受けたあと、反対側から撮影)

列車ごとに振り分けられた、候車室(待合室)で待つ。軍人と老齢者、幼児専用の候車室がある。T178次は候車室3と6。列車の客車の数が多いため、客車番号によって、待合室が異なる

硬臥は空いていた。上海南駅から乗った時には、6人定員のコンパートメントは私ともうひとりの2人だけだった。途中、蘇州駅から2人、南京駅から2人乗ってきてコンパートメントは埋まったものの、車内を歩くと、全く人気がない硬臥車両が2両もある。夜はお決まりの食堂車に行き、夕食をすませた。日本人であることがわかると、歓迎してくれた。近くの席には、日本語を話せるきれいな20代のお母さんもいて……。ただ、オーストラリアからの華僑(自称)が「(日本人は)南京って知っているか? 」と話かけてくるのには閉口したが。

静かな硬臥

けだるい雰囲気漂う食堂車にて

無事にエン州駅に着く。改札口には私の名前を書いたボードを持ったドライバーが待っていた。「チントウトウクワンチャオ(はじめまして)」と片言の中国語を反してワゴンに乗り込んだ。途中、屋台で軽い朝食をして、目指す大東章の駐泊所に着いたのは7時少し前であった。

エン州駅にて

大東章の駐泊所にて

駐泊所前には巨大なディーゼル機関車が4台停まっている。まずは、このディーゼルでも写真に撮るかと、一眼レフで撮影。駐泊所の鉄道員は、また日本人がやってきたのかという感じで、撮影は妨げられることがなく、自由に写真を撮ることができた。

ドライバーが鉄道員に聞いたところ、8時頃にならないと、蒸気機関車がやってこないという。そこでワゴンに戻り、涼むことにした。ところが、7時16分頃、蒸気機関車の汽笛が聞こえる。慌てて外に出て、プラットフォームまであがると、南屯方面から来た蒸気機関車が貨車を牽いてまさに遠ざかっていくのが見えた。前進型機関車3461である。ただし、次の蒸気機関車がどうやら8時ぐらいに来るらしい。

そこで今度は、ワゴンに戻らずのんびり待つことにした。8時5分、またもや南屯方面から違う前進型機関車(6811)が逆向きで貨車を牽いて目の前を通りすぎていった。ちょっと遠かったため、写真にうまく撮れなかった。そこで、ドライバーに聞くと、しばらくすると機関車は戻ってくるから待っていようと言う。すると、手前の引き込み線に1台の前進型(6811)が入り、石炭をクレーンで補給し始めた。しめたとばかり、ドライバーと一緒に線路沿いをクレーンの方に歩いていくと、もう1台の前進型もこちらにやってくるではないか。最初に見た3461である。蒸気機関車の運転手とドライバーとは顔みしりらしく、いろいろ話をし始めた。

8時5分、貨車を牽いてやってきた前進型機関車(6811)

遠くに前進型6811が見える。前の方を機関士とボタをひろい集める人が並んで歩いていた

蒸気機関車は、いったん駐泊所と反対方向の機務段方向に去り、待機状態。そこで、駐泊所と間に位置する踏切でカメラを構える。重連で前進型がやってくる。駐泊所に連結をとかれて並び、あの補給を受け始めた。駐泊所で撮影をし、また、先の踏切で、蒸気機関車の入れ替えをカメラに収めた。

駐泊所と反対方向の機務段では、大きなスピーカーが設置されており、行き先などがアナウンスされる。2台の前進型はそれぞれ、別々に鮑店というところに向かえと指示されてて、去っていった。

2台の前進型は、いったん駐泊所と反対方向の機務段方向に去り、重連で、駐泊所へ向かう

駐泊所に停まる、前進型

駐泊所で整備開始。人の背と比べると、前進型の動輪が大きいのがわかる

スローガンボード搭載の前進型3461。炭水車の赤錆がいい

2台の前進型を背面から見る

6811は鮑店方面に去っていった。さあ、追いかけだ

鮑店まで追いかけ撮影

そこで、鮑店まで撮影に行く。20分ばかり悪路を走り、鮑店駅付近の踏切で前進型を待つ。先ほどの前進型のうち6811がおり、貨車の入れ替えを行っていた。2回貨車の入れ替えで踏切までやってきて、その後、また大東章方面へと走り去っていったのをカメラに収め、大満足であった。その後、済北鉄運の焦化廠の近くの丘にのぼり、ハイデフの前進型7126を塀越しに見て、またまた満足したのであった。

鮑店近くの踏切にて。こう見ると前進が大きいのにびっくりする。あまり近づきすぎて轢かれないように注意しなくちゃ

焦化廠の前進。ハイデフがかっこいい

大東章の駐泊所での前進、DLの動き(2009年7月20日)

7時17分: 南屯方面から3461が逆向きで、空の貨車を牽いて通過
7時54分: DL、DF4DD-0057を先頭に、1023、0083、1020、DL機関車のみの4重連、機務段方面へ
8時05分: 南屯方面から6811が逆向きで、空の貨車を牽いて通過
8時19分: 機務段方面から6811が単機で石炭積み所へやってくるのが見える。8時22分頃石炭を補給。その後いったん機務段方向へ
8時23分:DL、DF4DD-1020、貨車を牽いて南屯方面へ
8時30分: 機務段方面から3461が単機で石炭積み所へやってくるのが見える。石炭を補給
8時39分: 機務段方面から6811、3461重連で、駐泊所手前踏切を通過、駐泊所へ。途中、重連切り離し
8時50分すぎ: 駐泊所にて2両とも水を補給
8時58分ごろ: 水補給終了
9時00分ごろ: 整備開始
9時34分ごろ: DL、DF4DD-0038、単機、逆向きに機務段方面へ、踏切通過
9時38分ごろ: DL、DF4DD-0081、単機、機務段方面から駐泊所方面に、踏切通過。40分に逆向きに戻ってくる
10時06分: 駐泊所から3461が単機、逆向きに機務段方面へ踏切通過
10時09分: 機務段方面から3461が単機、駐泊所方面へ
10時10分: 駐泊所から6811が単機、逆向きに機務段方面へ踏切通過
10時13分: 機務段方面からDL1021が単機、駐泊所方面へ踏切通過
10時19分: 機務段方面からDL0038が単機、駐泊所方面へ踏切通過
10時28分 機務段方面から6811が貨車2両牽いて、鮑店方面へ踏切通過

※踏切は駐泊所から機務段よりの最初の踏切を指す

グーグルアース地図情報

エン州駅
35° 33' 22.39" N 116° 50' 08.05" E
大東章の駐泊所
35° 24' 19.45" N 116° 52' 39.46" E
大東章駐泊所付近の踏切
35° 24' 22.63" N 116° 52' 51.10" E
鮑店
35° 25' 07.76" N 116° 50' 20.63" E