本連載「変革の軌跡~NECが歩んだ125年」では、1899年7月に設立し、125周年を迎えた日本電気(NEC)の歴史を辿っている。NECが日本初の外資系企業であったという事実や、NECの社名が使われなかった3年弱の期間、そして、数々のエポックメイキングな製品や技術を生み出してきた歴史を紐解いた。2025年1月7日からは、第2シーズンとして、NECの代名詞である「C&C」の誕生から、PC事業への取り組み、オフィスプロセッサや地球シミュレータ、携帯電話事業などにも触れる予定だ。今回は、連載の再スタートを前に、通常の連載とは別に、「番外編」として、NECに関するユニークなエピソードを紹介しよう。

  • バザールでござーる、今日は番外編でござーる

一大ブームを巻き起こした「バザールでござーる」

NECのキャラクターとして、いまや知る人ぞ知る存在となっているのが、「バザールでござーる」である。メインキャラクターとなる愛嬌のある子ザルの名前がバザールであり、通称「バザござ」として親しまれてきた。

NECのサイトによると、バザールは、1991年11月に、NECの販売促進キャンペーン「NEC 冬の情報生活市 バザールでござーる」を実施したことがきっかけになっている。

サブタイトルの「情報生活市」の名称と、量販店などの店頭販売キャンペーンであることから、市場という意の「バザール」という言葉が浮かび、そこから「バザールでござーる」というキャンペーンタイトルが誕生。その後「バザールでござーる」というフレーズから、「こざる」のキャラクターが考え出されたという。キャンペーンの名称が先行し、あとからそれにあわせたキャラクターが作られたというわけだ。

バザールは、アフリカの旧ザイール(コンゴ民主共和国)生まれという設定であり、日本の文化を学ぶために来日。おっちょこちょいで、ちょっとさみしがりという性格だ。ホームシックにかかったときは、大好きなバナナで気を紛らわすという。

ファミリーとして、医師の道を目指し、泳ぎはカナヅチながら名前はクロールという兄、すでに一児の母となっている姉のテリーヌ、昆虫採集が好きで、九九の五の段が得意な弟のスモールなど12人が登場。サブキャラクターとして、お山で一番の情報通のうさ山ぴょん助、計算と化学が得意な理数系きつねの子ぎつねコン平太、たまごからかえったとき、最初に見たものがバザールだったため、しばらくはお母さんと間違えていたひよこのピヨなどがいる。

バザールの誕生日は11月10日で、これは、第1回キャンペーンの開始日にあわせたものだ。旧ザイール出身としたのは、バザールの大好物であるバナナの世界的な産地であることも理由になっている。バザールでござーるを縁に、コンゴ共和国から感謝の言葉が贈られたというエピソードもあるという。

イメージカラーを黄色にしたのは、店頭販売キャンペーンとして目立つ色であること、茶色のバザールが活躍する世界にふさわしい色であること、バザールの大好物のバナナの色という意味もあった。

制作は、メディアクリエーターの佐藤雅彦氏。テレビCMでは、財津一郎さんのナレーションで、「バザールでござーる、バザールでござーる。NECのお店に行くでござーる」というフレーズで始まることが多く、ユーモラスな内容で、バザールがNECのお店に向かう様子が描かれた。音楽は明治大学グリークラブによるものだ。

  • 「バザールでござーる、バザールでござーる。NECのお店に行くでござーる」のフレーズ。CMで聴きなれて40代以上の人は耳に残っているのでは

「バザールでござーる」の販売促進キャンペーンでは、パソコンをはじめとしたNEC製品を購入すると、ジャンパーやパジャマ、まくら、バッグ、扇風機などのバザールグッズが抽選で当たった。これらのプレミアムグッズは大人気で、多くの応募があり、同時に多数の広告賞を受賞。子供たちが、語尾に「ござーる」をつける口調を真似するなど、「バザールブーム」と言われるほどの盛り上がりをみせた。

また、「バザールでござーるの小冒険」と「バザールでござーるのバナナ裁判」の2冊の絵本が出版されており、財津一郎さんによる「バザール3兄弟音頭」も発売されている。

実は、いまでも「バザござ」のサイトがあり、ここからPCやスマホで利用できるカレンダー壁紙がダウンロードできるほか、卓上カレンダーやポストカード、予定表、伝達メモ、付箋、ブックカバー、しおり、ToDoメモなどのプリントアイテムが用意されている。これらを使って、毎日を「バザござ」に囲まれて過ごすことができるというわけだ。

ちなみに、カレンダーは、毎年、月別クイズで構成されている。2024年版は「とんち推し」クイズカレンダーであったのに対して、2025年版は「ひらめき山からの挑戦状!」クイズカレンダーとなっている。2025年1月のクイズは、「年が明けたらある音が聞こえてきた。どうして?」である。ヒントは、カレンダーのイラストのなかにある。

  • 2025年版のバザござカレンダー。いまでも関係者向けに配布されているグッズが存在する

  • 2025年版バザござカレンダー。「ひらめき山からの挑戦状!」クイズカレンダーとなっている

  • 左が2024年1月、右が2025年1月版

  • 2025年1月のカレンダー。クイズのヒントは音符のイラスト?

三田の地にそびえるNEC本社「NECスーパータワー」

東京・三田のNEC本社ビルは、NECスーパータワーの愛称で知られている。そして、そのユニークな形から、ロケットビルと呼ばれることもある。

  • 東京・三田にあるNEC本社の「NECスーパータワー」

本社ビルは、NECの創立90周年の中核事業として、NECが創業直後の1900年に取得し、本社として利用していた場所に建設。約600億円をかけ、1986年11月の着工から3年2カ月の工期を経て、1990年1月に竣工。2025年1月で、35周年を迎えることになる。

NECの関本忠弘社長(当時)は、「個人の豊かな発想や創造性、自主性を尊重するとともに、全体との調和を図るホロニック経営をサポートする重要なツールになるのが、NECスーパータワーである。新本社によって、NECは永遠であるというイメージを打ち出すことができた」と位置づけた。

  • 竣工当時の記念品として関係者に配られたのがNECスーパータワーの模型。天気予報が表示される仕様となっている

地上43階(高さ180メートル)、地下4階、敷地面積は2万1400平方メートル、延べ床面積14万5100平方メートルのNECスーパータワーの外観はユニークだ。

1~12階の低層階、16階~38階の中層階、40~43階の上層階の3つに分かれ、上部に行くほど細くなる建物の形状を採用しており、13階から15階までの3フロアには、大きな風穴がある。この風穴はウインド・アベニューと呼ばれ、「光や風が通り抜けていく並木道」という意味を持たせている。超高層ビルでは世界で初めて採用されたものだ。

ユニークなビルの形状には意味がある。

3段階のロケット型の形状と風穴は、超高層ビルによって発生するビル風による周辺への影響を徹底的に解決するための工夫であり、風害や日影の影響など、周辺環境への影響を最小限に留めたほか、高層ビル特有の圧迫感をやわらげることにも成功している。

たとえば、、ウインド・アベニューは、高さ15メートル、幅42メートルの風穴であり、ビルに当たった風をすべて取り込み、それをビルに沿って上方に吹き上げることができ、周辺にはビル風が発生しにくくなるのだ。NEC本社の周辺には都営住宅や学校、保育園などがあり、こうした地域の生活環境との調和を最優先した建物となっている。

また、ウインド・アベニューは、地下1階から地上12階までのアトリウムの天窓としても活用され、天面採光の明るいオフィス環境の実現にも貢献している。

  • NECスーパータワー3階に2019年に設置されたコワーキングスペース「BASE」。社員が自由に働けるスペースだ

NECでは、当時から「環境」をキーワードにした建設計画を進めており、敷地の約65%を緑の公園として開放し、280本の高木を植樹。その取り組みが評価され、東京都環境影響評価条例の適用第1号になっている。

NECスーパータワーの愛称は、社内公募によって決定したものだ。応募数は1万件を超え、新本社に対する社員の期待の高さを裏付けるものとなっている。

NECスーパータワーの意味は、超高層ビルで初めてスーパーフレーム構造を採用し、次世代のインテリジェントビルという意味でのスーパーであり、東京タワーのように、上に行くほど細くなるタワーのイメージであることから、ビルではなく、タワーの名称を採用したという。

NECスーパータワーで採用したスーパーフレーム構造は、ビルを縦に貫く16本の柱を4本ずつの大柱にまとめて、巨大なトラス状の鉄骨梁で約10階おきに連結。関東大震災以上の地震にも耐えられるというものだ。

完成当初には、基幹伝送路として600Mbpsの光LAN環境を導入。メインフレーム8台、ミニコンピュータ1台、オフコン37台、パソコンおよびワープロが2100台導入されたほか、同社のC&C技術を活用したスーパーアラジン端末も2000台が導入され、最先端のインテリジェントビルといえた。

  • スーパーアラジン端末を使用している様子

ちなみに、NECスーパータワーのロータリー中央にある石造りの「日本電気株式会社」の文字は、旧NEC本社の石造りの社屋から引き継いだものだ。

  • 1945年当時のNEC本社の様子

  • 現在のNEC本社。当時と同じロゴが使用されている

さらに、本社ビルの完成と同時に設置された「ひかり門」は、造形家である伊藤隆道氏によるゲートモニュメントであり、竣工当時は、本社ビルの先端に向けて、照明デザイナーの石井幹子氏の監修によるライトアップも行われていた。

  • 「ひかり門」と呼ぶゲートモニュメント

誰もが知るあの人達が手掛けた「社歌」

NECは、1940年、初めての社歌を制作した。

作詞は北原白秋氏、作曲は山田耕筰氏。

童謡の「からたちの花」、「この道」などを世に送り出した名コンビによって、NECの社歌は作られている。

1940年は、紀元2600年を記念して、政府や各種団体、企業による盛大な祝典と記念行事が行われた年で、NECでは、同記念事業として社歌を作ることにした。そのとき、「とにかく当たってみよう」と、NECの担当者が北原白秋氏の自宅を訪問。作詞を依頼したところ、即座に快諾を得たという。

校歌や社歌でも、秀作を発表していた北原白秋氏は、NECが、絶えず新しい技術を開拓し、時代の先端を切り開いている状況に共鳴。この頃は、持病の糖尿病が悪化して、視力がかなり失われていたが、1939年秋に、NECの三田工場や玉川工場を訪問し、各種機器に手を触れながら、熱心に説明を聞き、それを詞に反映したという。

そして、作曲を山田耕筰氏に依頼することになったのは、北原白秋氏の推薦によるものであり、同氏も即諾。黄金タッグが組まれることになったのだ。

完成した社歌は、1940年9月、明治神宮外苑競技場で開催された「紀元2600年日本電気奉祝大運動会」において、日電青年学校の生徒500人の大合唱により初めて披露された。

戦後の混乱期は歌われることはなかったが、1950年以降は、入社式や社内運動会などで流されるようになり、1958年には創立60年を記念して合唱曲へと編曲し、日本電気合唱団と東京交響楽団、コロンビア吹奏楽団によってレコーディングされた。

  • 「NEC社歌」のレコードジャケット

  • 「NEC社歌」のCD版もあった

NEC社歌の歌詞は以下の通りだ。通信技術への可能性や、NECが世界を結ぶ企業であることを示した言葉が盛り込まれている。NECでは、「安全・安心・公平・効率という社会価値を創造し、誰もが人間性を十分に発揮できる持続可能な社会の実現を目指す、いまのパーパスに通じるものがある」と説明する。

「NEC社歌」の歌詞
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1
黎明声あり世紀の電流、放てよ捉へよ空飛ぶ翼を。
雲間にそびゆる無線の鉄塔、行くべし有線、地平は涯なし。
通信文化ぞ我等が標識、日本、日本、日本電気。
2
精密技あり斯界(しかい)の新人、窮(きわ)めよ尽くせよ理法の真(まこと)を。
神速すなはち響きて徹らば、見るべし栄光、福祉は涯なし。
通信技術ぞ我等が天職、日本、日本、日本電気。
3
靄々(あいあい)和気あり不断の勤労、勢(きお)へよ励めよ大同一つに。
電波に結ばむ世界の国々、為すべしこの秋(とき)、理想は涯なし。
通信報国我等が信念、日本、日本、日本電気。
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実は、歌詞の途中に、「NEC、NEC」というフレーズがあった。1番の歌詞でいうと、「雲間にそびゆる無線の鉄塔」と、「行くべし有線、地平は涯なし」の間である。

だが、すでに準戦時非常体制にあったことから、外来語の挿入は不適当と外部からの指摘を受け、やむなく削除したという。北原白秋氏と山田耕筰氏は、とても残念がっていたという。

創立80周年を迎えた1979年には、「NECの歌」が作られた。

NECグループの従業員により、歌詞と曲を募集し、「北の宿から」や「魔法使いサリー」のほか、様々なテレビCMの作曲で知られる作曲家の小林亜星氏に選考を依頼して完成した。編曲は小林亜星氏と、「もののけ姫」をはじめとしたスタジオジブリ作品の楽曲などで知られる久石譲氏が担当している。

  • 「NECの歌」のレコードジャケット

  • 「NECの歌」のB面には「NEC社歌」が収録されている

歌詞では、C&Cを意識し、コンピュータとコミュニケーションの企業であることを打ち出している。

各地区の合唱部、吹奏楽団が渋谷公会堂に集まり、合唱指揮者の池田明良氏の指揮でマスターテープを完成。80周年記念式典の際に、全社放送で披露した。

「NECの歌」の歌詞
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1
NEC NEC NEC 電子の技術 世界をささえる 人から人へ、家庭から家庭へ
たしかな情報 心を結ぶ コンピュータ コミュニケーション NEC
2
NEC NEC NEC 電子の技術 宇宙をかける 街から街へ 国から国へ
幸はこび 世界を結ぶ コンピュータ コミュニケーション NEC
3
NEC NEC NEC 電子の技術 われらが使命 たしかな技術 たゆまぬ努力
地球のために 未来を創る
コンピュータ コミュニケーション NEC
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「NECの歌」は、2019年ごろまでは、本社および各地の拠点などで、始業時間に社内に流れていたというが、スーパーフレックス制度の導入や、リモートワークなどの新しい働き方が広がってきたことで、いまは社内でも聴ける機会が減っているという。

NECには、「工場歌」と呼ばれるものもある。

神奈川県相模原市のNEC相模原事業場で作られた「白鳥の歌」がそれである。

相模原事業場が完成した2年後の1964年に、NECグループ社員から歌詞を募集。作曲は、当時、相模原市に在住し、同事業場の吹奏楽団の指揮者をしていた音楽家に依頼した。

  • 1970年前後の相模原事業場。構内の左下にあるのが丸池

工場歌のタイトルが、「白鳥の歌」となった理由は、相模原事業場内にある丸池が「白鳥の池」と命名されたことにある。この池には、7羽の白鳥の像と噴水群が置かれ、相模原事業場のシンボルとなっていた。白鳥の池が誕生したのは、大群を組んで海を渡り、その途中で、お互いに励まし助け合う白鳥の姿に、協力して厳しさを増す国際競争を勝ち抜こうとするNECの従業員の姿を重ね合わせたことがきっかけとなっている。

「白鳥の歌」の歌詞
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1
相模の流れ 澄むところ 憩いの池に 夢ひらけ
飛び立つ翼 肩よせて 奉仕の心 今結ぶ
ああ 希望あり さがみはら 日本電気
2
山むらさきに 輝きて 霧湧く嶺に 夢ひらけ
創意の翼 休みなく 新たな科学 今育つ
ああ 誇りあり さがみはら 日本電気
3
広がる平野 どこまでも みどりの風に 夢ひらけ
 理想の翼 はばたきて 七つの海に 今育つ
 ああ 生命(いのち)あり さがみはら 日本電気
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一方、1989年の創立90周年にあわせて、NECグループ共通のスポーツテーマソングとして「勝利のイメージ」が制作された。NECグループの従業員から歌詞と曲を募集。ゴダイゴのボーカルであり、「銀河鉄道999」や「ガンダーラ」、「モンキーマジック」などの作曲者でもあるタケカワユキヒデ氏が選考を行い、補作および編曲も担当している。

玉川吹奏楽団の演奏によりレコーディングを行い、90周年記念式典の全社放送で公開した。

「勝利のイメージ」の歌詞
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1
朝の光につつまれ、君は今日も走り出す
瞳は澄み 輝く 勝利のイメージ
地球のはてまで続く 心をつなぐかけ橋
長い長い道を 君は駆けぬける
今に恋して走る Faraway
息を抱きしめながら Go away
熱く燃えてるその思い 地平線にとどけ Hurry up
NEC いつまでも 力の限り NEC どこまでも 走ってゆける
2
みどりの風に吹かれて 君は今日も走り出す
希望に満ちた顔 勝利のイメージ
新たな未来へ続く 心のパラダイス
高く険しい山を 君は駆け上がる
明日を夢みて走るFaraway
大地をつかむために Go away
両手をあげたその時は 大空にとどけHurry up
NEC いつまでも 力の限り NEC どこまでも 走ってゆける
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今回は番外編として、NECに関するユニークなエピソードを3本紹介した。2025年1月7日からの連載再スタートにも注目してほしい。