決まった住所を持たず、日本中を旅しながら生活しているカメラマンの南谷有美(なんや・ゆみ)さん。訪れた地域では人々とどのように交流し、どんな仕事をしてきたのか。それぞれの地域の魅力についても綴っていただきます。
はじめまして!
読者のみなさま、はじめまして。日本中を旅しながらカメラマンの仕事をしている南谷有美です。2018年5月に旅を始めてから約1年、これまで10の地域を訪ね、カメラマンやライター、ときにはその土地特有の仕事をしながら、生活してきました。この連載では、これまで私が訪れてきた地域の魅力について紹介していきたいと思っています。
玉木宏がきっかけで、保育士からカメラマンへ
私は、幼い頃から保育士になることが夢でした。大学は迷うことなく保育士の資格が取れる学校を選び、20歳のときに保育士になりました。業務的に大変なこともありましたが、大好きな子どもたちに囲まれて楽しい日々を過ごしていました。
現在はカメラマンをしていますが、写真を撮り始めたのは実は社会人になってから。初めてカメラに触れたのは23歳のときです。きっかけは何と、俳優の玉木宏さん。『ただ君を愛してる』という映画で、当時、カメラマン役をされていたのですが、それがかっこよすぎまして……「私もやりたい!」と思って、カメラを始めました。
当時流行していたmixiというSNS上で、写真好きの人たちと仲良くなり、撮影に行ったり写真展を開いたりして楽しんでいました。グループの中にはカメラマンを職業とされている方もいて、その方がアシスタントを探しているとの情報を耳にしました。「25歳だし、新しいことに挑戦するなら今かな」と思い、保育園を退職し、カメラマンの道に進むことを決めました。
1年間、そのカメラマンさんのもとで勉強をさせてもらい、独立。26歳でフリーランスのカメラマンになりました。
認可外保育園を設立、園長になったものの……
カメラマンとしての仕事が安定してきた頃のことです。私の周囲では結婚・出産を経験する人が増え、元保育士ということもあってか、子育てに関する悩み相談を受けるようになりました、その中で知ったのが「仕事と子育ての両立について悩んでいる人が多い」ということ。
その当時は「保育園落ちた、日本死ね」という言葉が話題になるほど、待機児童の問題が深刻だったので、「保育園がないなら、作ればいい」、シンプルに、そう思いました。
たくさんの方の支援を受けながら、2017年認可外保育施設を設立。28歳のとき、保育園の園長になりました。
最初は苦戦した保育園事業ですが、しばらくすると運営も安定し、いつしか私がいなくても回るようになってきました。
「もう私の役目は終わった」と感じるようになり、その旨を働いてくれていたスタッフに相談。反発されることを覚悟していましたが、「そういう自由な園長だから好き」と逆に背中を押されました。2018年4月30日、私は認可外保育園の園長を退任しました。
住みたい場所を決めてから、仕事を見つける
それから、今後のことを考えました。26歳からずっと名古屋を拠点に生活をしていたので、もっと広い世界を見てみたいと思うようになりました。
「仕事が決まって、それから住む場所を決める」というスタイルが一般的だと思いますが、当時の私はやりたいことが決まっていなかったので、「住みたい場所を決めて、それから仕事を見つける」という形をとりました。写真も撮れるし、文章も書けるし、いざとなれば保育士の免許もあるから何とかなるだろうという考えで、旅に出ることを決めました。
園長を退任してから現在まで、さまざまな地域を訪れました。このライフスタイルが次世代の生き方とされ、新聞やテレビなどのメディアからも取材したいと声がかかるようになりました。このようになることは全く予想していなかったので、驚きの連続です。
そんな私の旅の記憶、いつか言語化してたくさんの人に伝えたいなと思っていたところに、今回の連載の話を頂きました。ご縁に感謝いたします。
次回は、私が園長を退任して初めて訪れたまち、宮古島のことについて書いていきたいと思います。
執筆者プロフィール:南谷有美(なんや・ゆみ)
カメラマン/ライター
2018年4月に認可外保育園の園長を退いてから、各地を巡る旅人に。リモートで仕事をしながら、好きな場所で好きなことをして生活しています。