お笑いコンビ「ジョイマン」の高木晋哉が、ちょっぴりほろ苦く、そしてどこかほっこりする文章で綴るこの連載。読者のお悩みにジョイマン高木ならではの視点で答えてもらいます。
今回のお悩み
SNSでの友達のキラキラした日常がうらやましくて、本当はいない彼氏や本当は行ってない旅行の写真を投稿して嘘の私を作り上げています。いつかばれると思うし、こんなことはやめたいんですがなかなかやめられません。どうしたらいいと思いますか?(20代女性)
はじめまして。ジョイマンの高木晋哉です。
20代女性さん、正直に話してくれてありがとう。SNSって本当に難しいですよね。世間的にSNSが当たり前になってずいぶん経ちますが、僕もいまだにスマートには使えてない部分が多いように思います。もちろん便利な部分もあるのですが、使うことで本当に幸せになっているか? と言ったらそうでもない人もたくさんいそうです。
ドラえもんが出してくれた未来の素敵な道具を、持ち前の泥臭い人間らしさで間違った使い方をしてしまい、いっつも痛い目を見るのび太のように、人間がSNSという道具を本当に上手に使いこなせるようになるのはまだまだ先なのかもしれません。
ドラえもんといえば、僕はドラえもんから「夢を見ること」はもちろんですが、「人間の愚かさに対する優しい眼差し」も教わりました。のび太を象徴とするように、人間は時に愚かです。これはもう仕方ない。だから嘘をつくし、見栄も張る。でも少し背伸びしてでも頑張る姿には、ある種の美しさもある。悪いことではないんです。
背伸びすることというのは、人類がお猿さんだった頃から今まで少しずつ少しずつ進化してきた推進力の源ではないでしょうか。ただ、SNSという最先端の道具を使いこなそうと人間が背伸びすると、20代女性さんの相談のようなネバネバとした人間らしさが、背伸びしている足元にまとわりついて邪魔をしてくるんですね。動物が進化する行為というのは本当にもどかしいものです。
手軽にすっきりする解決法はSNSをやめることなのですが、もしSNSを続けるにしても、やはり自分とSNSというのは切り離して考えたほうが楽だと思います。人間はSNSを続けていれば多かれ少なかれ見栄を張りたくなってしまいますから、どうせなら微妙に嘘をつくのではなく、大幅に嘘をつくのはどうでしょう。
自分を少しだけ大きく見せるのではなく、べらぼうに大きく見せる。そうしたら実際の自分との大き過ぎる誤差が生まれて、切り離して考えられるようになると思います。これもう別人じゃん、となればいいわけです。
僕はTwitterを利用しているのですが、ポエムの真似事のような呟きをしているので、例えば「感動した」と一言で言えるような場面でも「僕の身体は幾千の光の粒となり太陽に吸い込まれていった」と書いたりします。僕の頭の中ではそう感じているので嘘とは違うと思っているのですが、はたから見ている人からしたら「美化し過ぎの嘘」と言うかもしれません。でもそのくらい振りかぶって書くことで、僕はSNSをひとつの表現の場として現実世界と切り離して考えられますし、バランスを保てているのです。
20代女性さんの言うような“本当はいない彼氏とのデート”を投稿するならこうです。
今日は月が明るかったから、お気に入りのパジャマを着て、彼氏と月面で待ち合わせをした。今日あったことを話しながら、ふっくらとしたクレーターのふちを二人きりで何周も歩いた。遠くには寝静まった地球が見える。あそこに私はいないのに、いつもと変わらないように見える。少し悔しかったけど、地球のことをよく知らない彼氏の前だから、私は何も言わずにキスをした。
写真は月から見える地球の写真です。
これなら、ばれるばれないの前に「あのデートって本当? 彼氏ってどんな人? 」などと、野暮なことを誰かに聞かれる心配すら恐らくないでしょう。周りから大幅に引かれる可能性はありますが、見栄を張らなくてはいけないような今までの人間関係をスリムにする効果はあるかもしれません。
キラキラしていない面も、キラキラしている面も、さまざまな面を持っている現実の20代女性さんを見てくれる人も中にはきっといるでしょう。SNSという道具に人間が左右されるのではなく、人間が気持ちよく使ってあげて初めて便利な道具だと思います。
近い将来、20代女性さんが本当の意味で自分のことを好きになれるようなSNSの使い方が出来る日が来ることを、ジョイマン高木は祈っています。
筆者プロフィール: 高木晋哉
お笑い芸人。早稲田大学を中退後、2003年に相方の池谷と「ジョイマン」を結成。吉本興業所属。趣味は詩を書くことで、自身のTwitterでの詩的なツイートが話題となっている。