「ナナナナ~」のギャグで一世を風靡したお笑いコンビ「ジョイマン」。その後風のようにお茶の間から姿を消した彼らだが、今もコツコツと笑いの世界で生きている。そんな山頂と地底の景色を見てきたジョイマンの高木晋哉が、日々の出来事を徒然なるままに語り、「あー人生つまんない」と思っているアナタにふっと生暖かい風を吹かせてくれる。
僕は学生時代の記憶がほぼ無い。特に高校からの記憶が無い。その頃、僕は自分がこの人間社会の中で異質だと思い込んで自意識過剰になり、生きていく上で周りと上手くやっていく自信を完全に失ってしまっていた。他者との関わりを恐れて敬遠し、親ともあまり話をしなかった。僕は友達が1人も出来なかった神奈川の桐蔭学園という進学校を何とか卒業し、醜く培ってしまった張りぼてのプライドを保つために浪人までして入った早稲田大学を3年で自主退学した。そして逃げるようにお笑い芸人になり、僕はそれまでの不細工な学生生活に蓋をした。
2018年、春。15年の時が経って僕は37歳になり、お笑い芸人を続けている。2008年のお笑いブームでテレビの仕事が増えたものの、ブームは去り今では仕事が激減。しかし仕事は静かに姿を消し、静かに現れる。
かつて僕の通った桐蔭学園には系列の大学があり、ひょんなことから、その大学内で催される就職活動応援イベントで講義をさせて頂く仕事が入った。さらに、早稲田大学のOBが集まるイベントと早稲田大学出身芸人が集まる座談会にも呼んで頂き、立て続けに学生時代のことを人前で喋らなくてはならない状況に陥った。もちろん仕事が入ったこと自体はとても幸せなことだ。
僕は複雑な思いを抱えつつ、自ら塞いだ記憶の重い蓋を開けなければならなかった。
こんなに忌まわしい気持ちになるタイムカプセルがあるだろうか。僕は1人になれる場所で心を少し落ち着けてから、意を決して蓋を開けた。恐る恐る中をのぞいて見ると、記憶はどろどろに溶けて完全に形を無くしたものもあれば、まだ補修さえすれば何とか人前に出せるようなものもあった。僕はそれらに出来るだけ触れないように慎重に目の前に並べ、ひとしきり眺めた。
今見ても不器用さに塗り固められた不細工な記憶達だった。抱えきれずに遠くに追いやられてしまった記憶達。こうしてまた取り出される日を待っていたのだろうか。それとも、このまま忘れ去られていくことを望んでいただろうか。なぜだろう、こうして久しぶりに眺めてみると、ちょっぴり愛おしくて笑えた。不思議だった。何だか悔しいような、少し安心したような、くすぐったい感情だった。
そして僕は仕事の日を迎え、まだ少し補修の跡がみすぼらしい学生時代の記憶達を、大学を辞めて行き着いたお笑い芸人という仕事を通じて人に伝えた。まさか人生において、そんな時間が来るとは思っていなかった。自分の口で喋り、そしてそれを自分の耳で聴き、タイムカプセルの中で見つけた記憶達に光を当てていくと、その記憶の影のようなものがぼんやり浮かび上がり、当時の学校の風景や匂いや、感じていた恥ずかしさや申し訳なさの湿度までが蘇ってくる。
それは全く嫌な感覚ではなく、まるで散らかっていた部屋が徐々に片付いていくような爽やかな感覚だった。
この経験で分かったことがある。不細工な記憶達の全ては、やはり紛れもなく僕のルーツだということだ。恥ずかしかろうが、後ろめたかろうが、自分のルーツだということだ。遠くに追いやったと思っていた学生時代は、やはり細い糸のようなもので僕に括り付けられていた。その糸を切ることは不可能なのかもしれない。しかしそれはどうやら悪いことではなくて、自分の過去やルーツというのは、たまに整理して綺麗に積み上げておくことで、現在の自分を取り囲む厳しめの現実に疲れてしまった時などに、雨風こそ防げなくても、少しだけそこに腰掛けて休むくらいには役に立つような気がする。そのことに気付けて良かったし、気付かせてくれた母校の先生方にとても感謝している。
程度の差こそあれ、僕と同じように過去に蓋をして今まで生きてきてしまった人もいるだろう。それはそれで心配することはない。たぶん大丈夫。僕は大学時代に勉強したくなさ過ぎて、学生の本分である授業をサボって出席しないどうしようもない人間(3年間で総合取得単位2)だったけど、そんな僕だけど、お笑い芸人になってからは仕事の現場には最低限ちゃんと行けるような人間になれている。確かに仕事の絶対数は人より少ないものの、その点で大学時代よりは成長している。僕はきっと成長している。
皆さんも社会の荒波の中でたまに学生時代の思い出に腰掛けながら成長し、出世のようなものをして権力を勝ち取り、いつの日か、僕に何らかの仕事をオファーしてくれたら良いなぁと、切に願っている。